教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 363回  教育随想 363回  集団についての3つの分類


集団について分類します。


恣意的集団
これは、子どもたちの発言の様子に注目するとわかりやすいです。
学級全体のことを考えての発言が少ないです。
自分本位の発言に終始することもあります。
子どもたちの親密度に偏りがあります。
指導者に従わないことも多いです。
子どもの奇声を耳にします。
奇声は、その子どもの欲求不満からくることが多いです。
これが一年間続くとしたら、指導者の問題です。
放任的な指導者です。


公式集団
話し合いに参加しているメンバーの差が大きいです。
発言している子ども。
沈黙を守っている子ども。
学習そのものに不参加を表明している子ども。
心のふれあいが少なく、参観しているとどこかよそよそしいです。
何より子どもたちの表情が固いです。
話し合いをしている時の子どもの表情を観察してください。
目の周りが固く、口に柔らかさがありません。
形式的に話し合いを進めようとしています。
発言したあと、指導者の表情を気にしています。
時には、自分の思いを隠して、指導者の思いに合わせようとします。
質問や疑問が少ないです。
よい子が多いという感じがします。


指導者の問題
指導者が課題のほとんどを指導しています。
子どもに作業をさせるとき指導者が一切を指導しています。
だから、子どもが作業についての見通しをもちません。
指導者が子どもたちの作業の中に参加せず、常に、監督の位置にいます。
指導者の本音として、子どもに任せて何ができるのだという考えがあります。


非公式的集団
ある意味では理想的な集団です。
能力、学力さ、性格に左右されずに誰もが参加できる集団です。
子どもたちは、はっきりと自己主張します。
学級全体の動きも考えて行動できるようになります。
しかし、実際の集団は能力や性格に影響を受けます。
受けることが前提であると考えて集団を育てる必要があります。


子どもたちが集団の役割に目覚めると、子どもたちは変容します。
学級で勉強したり生活したりしていることが、自分の成長につながっていることに気付いたら、子どもたちの意識は飛躍的に変わります。
これは、授業において、子どもの考えを仲間と関わらせることによって、内容が広がったり深まったりするような学習過程を計画実践します。。
一人で勉強しているよりも、仲間と勉強するほうが多くの発見があることがわかるようにします。


指導者の構えとして
集団であるが、一人一人の観察に基づいた子どもであるという姿勢。
集団を相手にしながら、どこまで一人一人の違いを見極められるか。
すべての子どもを把握することはできませんが、目標として持つこと。
集団の名のもとに個人が我慢を強いられてはなりません。
「みんなもがんばっているでしょ」
「他の人は終わったのに、まだ、終わらないの?」
集団のものさしで個人を強制しないようにします。(できるだけ)
上から指導する立場よりも、すべての子に寄り添い励ますという自覚。


難しいことです。
言うのは簡単です。
しかし、日々、子どもたちを相手にしているわけですから、子どものそれぞれの行動を観察して情報を集める姿勢を大切にします。

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