教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想362回  集団思考の野性化 

集団思考
集団思考は、学習場面や学級会でよく見受けられます。
子どもたちが話し合って物事を進めます。
子どもたちが話し合って学習を広げたり深めたりします。
集団とは、学級の子どもたち全員を指しています。


学年当初に組織された集団
子どもたちはお互いのことをあまりよく知りません。
自分の意見を言う時、遠慮と緊張感が見られます。
集団思考に参加している子どもたちは、控えめに振る舞います。
全体としては、「物静か」「礼儀正しい」という集団に見えます。
この時に、挙手する子どもだけが話し合いを進めます。
それでも集団過程は進みます。
反面、心のふれ合いが浅く、よそよそしい感じが漂っています。


集団構造の解体
子どもたちがお互いに慣れてくると発言も増えてきます。
恣意的発言(思いつき発言)が増えてきます。
一人一人の子どもが自己主張し過ぎるようになります。
特定メンバーが結束して、他の子どもの意見を阻むことがあります。
特定メンバーの意見が学級の決定になることもあります。


恣意的(思いつき)発言
実は、恣意的発言が増えていく状態を止めてはいけないのです。
自由に言わせる指導者のゆとりが必要です。
集団の個々の考えが自由に出せるようにします。
軌道からはずれてもかまわないです。
私は、これを子どもたちの野性化と呼んでいます。
これが、集団の構造の解体です。


そこから自分にとって、望ましい集団のあり方を考えさせます。
自己の主張の強弱、相手の立場にたった発言を考えさせます。
無軌道な話し合いは、建設的でないことに気づかせます。


集団思考の望ましい方向
集団の構造解体と再構造化がほどほどに起こることが望ましいです。
簡単に言いますと、
子どもを野性化させながら集団思考に一定のルールを築くことです。
少し具体的に
子どもたちが集団になれてくると、口々に自分の意見を言います。
友達の意見を聞いて自分の考えを発表するとは限りません。
自分の言いたいことを言えば気が済んでいます。
ある時は、自分の意見が通らないと意固地になって反対します。
そのうち、学級が騒然となることがあります。
子どもたちが話し合いで、騒然として聞き取れないことが起こります。
これを恣意的なものとして、話し合いを打ち切らないようにします。


先生は、この様子を前にして子どもたちの動きを制御しようと思います。
制御したときが先生の失敗です。
子どもたちのエネルギーまでも止めてしまうからです。
どこで子どもたちの話し合いに介入するかが難しいのです。


実際例 5年生を担任した時
4月、初めての委員会のメンバーを決めるのに子どもたちに任せました。
自己主張の強い子どもたちが多いので、活発な話し合いのように見えました。
ところが、自分が希望する委員会に入れない子どもは、決定事項に不平を出だしました。
決め方が悪いというのです。
委員会のメンバーの決め方(自分の希望の委員会に入れるために)に時間をかけました。
2時間かけても結論は出ませんでした。
私は、すでに集団の解体が行われていることを実感しました。
最初は、「先生、僕たちで決めるから任せて」と豪語していた子どもたちは戸惑いを見せました。
「先生が何とかしてください」と私に援助を依頼してきました。
私は、「どうしてみんなが自分の思いを出しているのにメンバーが決まらないのかな」
私は、その原因をみんなで考えることにしました。
これが集団の再構築です。


集団思考は、子どもたちのエネルギーを自由に発散させるところから始まります。
低学年でいえば、「つぶやき」です。
気まま勝手に自己主張している状態です。
やがて、うまく話し合いが進まないことを自分たちの力不足であることを自覚させます。
その時に、先生の子どもたちへの指導が入ります。
うまくいかなかったことがわかった子どもたちは、先生の助言に耳を傾けます。


やがて、集団全体の動向と話し合いのルールに細心の注意を払うことの大切さに気づけるようにします。

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