教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 361回 授業時数の帳尻合わせと学習内容

私の地域の学校では、6月15日に学校が再開されました。
そして、7月22日で一学期が終了しました。
授業時数が170時間程度だそうです。
4、5月学習の内容は自宅学習だったようです。
子どもたちの理解の程度はどうだったのでしょうか。
教育委員会からのワークシートをするように指示がありました。
多くは、学校独自で宿題として子どもたちに課題が与えられました。


授業時数の確保
どの学校も授業時間の確保が大変だったようです。
4年生の場合、毎日6時間目まで学習しました。
朝の15分間を授業時数としてカウントされました。
その結果がおおむね170時間になったということでした。


学習内容終了
一学期の学習内容は、終業式までにすべて終わりました。
それぞれの単元の学習時間を削ったということです。
「学習内容も削ったのですか」と私は質問。


教科書を読んで終わる学習。
ノートにまとめて終わる学習。
ワークシートに書き込んで終わる学習。
映像を見せて終わる学習。
先生が説明して終わる学習。
一部内容は準備が大変なので省略。


それらの底に流れている考え方は、授業時数の帳尻を合わせることでした。
これは、どこの学校でも、若干の時数の調整はしています。


しかし、問題なのは、教科内容の軽重が考えられていなかったことです。
学校として、学年として年間計画を修正していません。
きっと、学校全体で計画の修正をして授業に臨んでいる学校も多いと思います。


世間では、休校が長引くと授業時数が減るので学力低下につながると言われています。
しかし、そこでは、授業内容、方法については問われません。
短い日数のなかで、どのようにして学習内容を進めたのか。
どこを重点的に指導したのか。
そんなことは、世間の話題になりません。
ちなみに、その学校の年間指導計画は去年のまま使用されていました。
特別に計画されたものではありませんでした。


職員室で流行っている言葉
「コロナだから」という言葉です。
コロナだから、教科書を読んで説明して終わりましょう。
コロナだから、時間のかかる観察は省略しましょう。
コロナだから、行事は簡単にしましょう。
コロナだから、今年は、職員研修を少なめにしましょう。
コロナだから、みんな疲れているから・・・・・・想像にお任せします。


反対に、コロナだからこそ
一人ひとりの子どもたちとしっかりと向き合おう。
学習内容を精選して、大事なことが抜けないようにしよう。
学校は非常事態になると、普段の職員力(洞察・計画・実行)が見えてきますね。

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