教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 360回  働きかけるものが 働きかけられる 

教育は具体的なもの
私は、教育理論を語り合うことを好みませんでした。
子どもの言葉、動き、表情を通して、教育は語ることが大切だと考えます。
医者は、医学理論から患者を診察しないそうです。
患者の顔色、皮膚、鼓動、訴えを聞くことから始めるそうです。
そのあと、医学理論を持ち出すそうです。(尊敬する医師の話)


教育も同じです。
教育学理論でもって子どもを見るのではなく、具体的な子どもの姿をから出発します。
行動力、観察力が必要なのが先生の仕事です。
先生は理論家ではなく、実践家です。


実際の子どもを通して
私の家の隣に2人の男の子がいます。
長男は高校一年生、次男は小学6年生です。
特に会話をするほど親しくはありません。


長男の男の子が中学3年生の時です。
それまでは、たまたま目が合ったら会釈する程度でした。
私は、彼が登校するとき、庭の水やりをしていました。
「おはようございます。」という言葉を投げかけました。
彼は照れくさそうな表情で無言でした。
私は、彼の登校時に目があうと「おはようございます」と声をかけていました。
さらに、私は、次のような言葉を入れました。
「おはようございます。いってらっしゃい」
そのとき、彼は笑顔で会釈するようになりました。
やがて、私は、言葉を付け加えました。
「おはようございます。いってらっしゃい。寒いけど頑張ってね」


ある朝、彼のほうから「おはようございます」と挨拶をしてきました。
それ以来、朝、出会うたびに言葉を交わすようになりました。
私が庭にいないとき、彼が庭をのぞき込んで私を探していました。


次男の小学6年生。
最初は、ほとんど逃げるようにすれ違っていました。
ある日、彼が学校から帰ってきたときでした。
「お帰り、暑かったね」と、声をかけました。
彼は照れくさそうにして、逃げるように家に入りました。
それが何回も続きました。


私は、彼の下校時間を知っています。
作業をしながら彼を待ちました。
「お帰り」と声をかけると表情がほころぶようになってきました。
そして、最近のことでした。
私が花の世話をしているとき、彼は私の後ろ姿に声をかけました。
「こんにちは」初めてでした。
私は、驚きました。
なにも言わないで通りすぎることができるはずです。
それなのに、彼は私に声をかけたのです。


「働きかけるものが働きかけられる」
この言葉の真意を改めて理解しました。
学校の子どもたちも同じです。


子どもの挨拶
先生が声をかけると目をあわせないで仕方なく挨拶します。
先生と目があうと子どものほうから挨拶します。
もう一つは、先生の背後や遠くから声をかけてきます。
登校時、運動場の端からでも大きな声で挨拶します。
子どもが先生にしっかりと心を開いています。


大切なことは
まず、先生が繰り返し働きかけることです。
勉強でも生活習慣に関わることでも、先生から働きかけます。
それを1か月から2か月続けます。
やがて、子どもたちに変化が起こります。


これだけ働きかけているのに、子どもは反応しない。
働きかけても努力のしがいがない。
そのように思われた瞬間、子どもたちは先生から遠ざかっています。

×

非ログインユーザーとして返信する