教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  359回 強制、指導者の意図なしに教育は成り立たない

生徒指導と学習指導とは違います。
生徒指導は、子どもたちとの対話を通して、最終的には子どもが選択します。
指導者の意図は根底にありますが、人生の選択は子どもに委ねます。


学習指導は違います。
どのような学習においても、学び方を入れるとき、強制することがあります。
子どもたちは学び方を知りません。
教えることは、ある意味で先生の強制であり意図的です。
ただ、途中で先生が手を放す必要があります。
自転車の乗り方を教えるように。


意図的でない指導は、すでに指導ではありません。
予習、復習の仕方を指導において、先生のさせたい方向があります。
ただし、途中までの引率です。
基本的なことが理解できたら、子どもたちは、自分の力で学習を進めていきます。
今の教育で危惧することは、指導者に理念、意図が乏しいことです。


今は目の前に子どもたちがいないです。
実践者は、学級の子どもたちを通して語ります。
私が他の先生の前で講演していた時は、必ず、私の授業を参観してもらいます。
教育は理想を語ると、きりがありません。
理想は、子どもたちの現実を無視することがあります。


教育は、自分の生きてきた人生、体験の中でしか実践できません。
だからこそ、自分の在り方が常に問われなければなりません。
永遠に未熟な私にできることは限られていました。


教育は目の前の子どもたちを見て語り合えたら幸せです。
そうでないと、ただの空虚な理論になります。
私は、教育を子ども抜きに語ることを戒めてきました。
ブログにこうして書くことに、最初は大きなためらいがありました。
子どもの姿を見せられないからです。
それでも書くのは、一人でも教育実践、授業実践者になっていただきたいからです


私が書いていることに疑問、反発、理解を持たれることが大切ですね。

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