教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 356回  授業者の力量を支えるもの 待つ

個を鍛えるチャンス
今、コロナ対策として、子どもの座席を少し離しています。
班学習で子ども同士の話し合いは難しいです。
したがって、必然的に一人学習か全体学習のどちらかで学習を進めています。
一人学習の時間が多くなっています。
一人学習で個を鍛えるチャンスです。


意欲を持たせて学習形態を変える

全体学習から一人学習に移るとき、子どもの意欲を助長してから移行します。
「やりなさい」という頭ごなしの指示ではなく、子どもの意欲を助長してから移行するようにします。
算数では、全体で、計算の仕方を理解してから、一人で問題を考える場面は多いです。
練習問題をさせる時に、「計算しなさい」という指示だけではなく、子どもたちが少しは意欲的になるような助言をします。


計算問題が10題あります
子どもたちに「この問題のなかで、簡単にできる問題に○、少し難しいかなと思う問題に△をつけなさい。番号順に問題をしないで、○をつけたところから始めなさい」
と指示します。(課題に対して見通しをもつ)
子どもたちが問題を見たときに、自力でできそうだ、ちょっと自信がないとか、子ども自身で弁別してから問題に取り組めるようにします。



この時、先生は待てないのです。
問題に取り組んでいる子どもの時間に介入します。
すぐに計算を効率よくさせようとします。
子どもの迷いを減らそうとします。
最初から助言して、子どもに能率的な計算を指示します。
先生が指導において不安を感じるからです。
そうではなく、子どもたちが学び、迷うための時間を確保して待ちます。


しかし、迷う時間に見切りをつけることも大切
長く迷わせたらいいのかというとそうでもないです。
算数学習で、子どもたちの自力解決の様子を観察します。
できるだけ長く試行錯誤させたいのですが、学びが停止している子どもが多くなれば、全体学習にもどして助言を入れます。
思考錯誤の時間は、どの教科においても、初期は短めにします。
そして、一年をかけて迷う時間を少しずつ長くしていきます。


問いかけて、子どもを待てない先生
先生方の授業を参観していると、ほとんどの場合、先生の問いかけた後の時間が短いです。
先生の問いかけは、子どもに考えさせることがねらいです。
子どもたちが沈黙するとも先生自身が不安になるからです。
あるいは、先に学習を進めたいので、待てないことがあります。(いらいらして)


問いかけ後の沈黙
先生が問いかけをしたあとの沈黙は、子どもの思考が始まる時です。
学びを子どもたちに任せている時です。
子どもたちの何人かは、目で先生に助言を求めます。
しかし、先生は、これに耐えて待つようにします。
耐えるのです、それが授業の厳しさです。


授業者を支えるものは
子どもの思考、反応を静かに「待つ」ことにあると考えます。
三学期になって、子どもの学びか主体的になってくると、
         先生の問いかけは3つぐらいで授業が進行するようになります。
子どもたちから先生に働きかけるようになるからです。
「先生。もう少し考える時間をください」「班で話し合ってもいいですか」
「先生、もう少しくわしく説明してください」
「先生、もう少し、僕たちに話し合いをつづけさせてください。」
「先生、班で話しあったのですが、ほかの人の考えも知りたいので全体学習にしてください」
それは、一年間、先生が子どもたちの試行錯誤を待ち続けた成果です。

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