教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 354回  物語文 子どもの読めない所を核にする

物語文の指導で
物語文の指導において、気を付けなければならないことがあります。
子どもたちが読めていることを授業の中て問題にしないようにします。
子どもたちが退屈するからです。
読書好きな6年生の子どもが、かつて私に言いました。
「物語は独りで読んだほうが楽しいと思っていました。でも、最近になってみんなで読むと独りでは読めないところがわかるようになってきました。」


「一つの花」の最後の場面
「ごんぎつね」もそうですが、最後の場面は先生が細かく指導するのではなく、子どもたちに任せる場面です。
子どもたちが一場面から読み取ってきた結果が表れるところです。


この最後の場面は、子どもたちがこの作品の主題をどのように受け止めたかという読みの評価の場面です。
戦争の恐ろしさを前面にだすのか、それとも、戦争の状況の中でそれを乗り越えてきた今の母と子の明るさ、たくましさに力点をおくのか、指導者の考え方に委ねられています。


私の視点
 この作品がおもしろいのは、戦争はいけないとか、恐ろしいとか、一言も語らずしてて  戦争に対する怖さ、非情さ、悲しさを一つの家族の生活を通して語っているところ
 です。
  そこで、私は、最後の場面の指導目標を次のようにしました。


指導目標(最後の場面)
10年後、ゆみ子とお母さんがお父さんがいなくても、苦しみを乗り越えて明るく生きている様子を想像することができる。


指導にあたっての留意点
主題にそって全文を読みとおしたあとに、じっくりと戦争否定の意見が子どもたちの感想を通してでてくるのがよいのではないでしょうか。


 様子や気持ちを読みとらせるだけではなく、大切なことは、読み手である子どもたちを目撃者の立場に立たせて体験させることです。
 言いかえると、作品世界と読み手とをかかわり合わせることがポイントになります。



読み取りの実際例
物語文の読み取り指導は、中心になる言葉や文を取り上げます。
湖面に一つの石を投げ入れると、波紋が広がります。
中心になる言葉は、その石に当たります。


中心になる言葉、文は二つです。
「それから、十年の年月が過ぎました。」と「ゆみ子が小さながお母さんになって」
この言葉を核にして、子どもたちの想像を深めていきます。


「それから、十年の年月が過ぎました。」
お父さんが汽車に乗って行ってしまってから十年の間には、この親子にどんなことがあったのでしょうか。。
読者である子どもたちは、「一つだけちょうだい」を口ぐせのように言ったゆみ子を知っています。
その時から、家族にどのようなことがあったかを考えさせます。


お父さんがなくなったとわかった日の悲しみ。
父なしで生きてきた今までの様子は。
今、コスモスの花でいっぱい包まれています。ここから想像できることは。
子どもたちが自由に想像して、十年間の時の流れを埋めていきます。


「今日は、日曜日、ゆみ子が小さなお母さんになって」
小さなお母さんになっているゆみ子からどんなことがわかりますか。
ゆみ子の今の生活ぶりを想像させます。
ゆみ子はどんな子に成長したのかを考えさせます。





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