教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 353回 4年 国語「一つの花」 教材の一つの視点



指導書より抜粋
この教材は、ささやかな家庭の幸せ、親子の絆を無残に破壊する戦争の時代を背景に、子どもに対する親の願い、生命の尊さ、平和への願い等について描いたものである。
 現在の子どもたちの環境とは異なるが、それをこえて、子どもたちに深い感動を与えることができる教材である。
 登場人物の気持ちや行動と場面の様子とを結び付けて読み深め、親子の情愛を深く理解させるとともに、平和を願う心を育てる。



戦争を否定ではあるのですが
やたら戦争に関する言葉をあげて、戦争否定を前面に押し出す指導があります
「戦争はだめだ」「悪いことだ」と、子どもたちに力説しておられた授業を参観したことがあります。
私は少し違います。(戦争否定は同じですが)
 全文を読みとおしたあとに、子どもたちが平和について自分の思いを語れるようになればいいと思っています。
一つの花の家族の絆を通して。


お父さんの視点で読むと
指導書では、「親子の情愛を深く理解」することが大切な課題になっていますが、私は、お父さんの家族への、とりわけお母さんへの思いが気になるのです。


お父さんの視点から読むとどうなるのでしょうか。
お父さんが目にしたものは何かを整理してみます。
以下、お父さんの気持になって考えます。


3場面
ゆみ子を背負って遠い駅まで見送りにくれているお母さんの思い。
もう帰って来れないかもと思うと胸がつまる。
私が出征することを知らないままゆみ子と別れるのだ。
ゆみ子をお母さん一人に任せることの申し訳なさ。


駅に着くまでに「一つだけちょうだい」と言ってゆみ子におにぎり(私の弁当)を食べさせているお母さんの表情。
お母さんが作ったくれた私への最後の弁当をゆみ子に食べさせてしまった
お母さんのつらい気持ち。
ゆみ子が泣くと私に心配をかけさせるだろうとする気遣い。
そのお母さんの優しさを思うとつらい。
 ゆみ子を残していく以上にお母さんのことが心配でたまらない。


駅の前に集まる見送りの人々の様子と声。
 私には、なじめない周りの人々のばんざいと様子。
最後にだきしめた時のゆみ子の表情。
 もう会えないかもしれないというつらさ。
 ゆみ子には、すくすく育ってほしいという思いでいっぱいである。
 最後に自分を送りだしてくれるお母さんの姿。
 お母さんを支えることができない悔しさ。
 家族を残して、戻れるかどうかわからない戦争に行かなければならない悲しみ


4場面
お父さんの家族への思い、特に、お母さんの苦労を思うと切なさがこみ上げる。
 ゆみ子がぐずった時に、「一つの花」をゆみ子に手渡した。
 コスモスの花をあげてもゆみ子は喜ぶかどうかわからない。
 しかし、これは、お母さんとお父さんの一つの花、ゆみ子である。
 コスモスの花はゆみ子、その花をゆみ子に贈ると同時にお母さんへのメッセージでもある。
そのゆみ子を託すために、お母さんに贈った花でもある。
花をわたしても泣き出しているゆみ子が泣きやむという保証はなかった。
たまたま、かわいいコスモスの花を見かけた。
ゆみ子はその花を見て喜んだ。
お父さんは、コスモスの美しさに喜んだゆみ子の姿を見てひと安心。


最後の5場面で
お母さんがお父さんからコスモスを通して受け取ったメッセージ。
最後の場面にコスモスのトンネルをくぐるゆみ子の姿が描かれている。
お母さんのお父さんの想いに対する答えであると考えられないだろうか。
この物語はゆみ子(一つの花)を介した夫婦愛であると思えるのです。


この物語は一つの花をゆみ子にわたす4場面がクライマックスと言われています。しかし、私は、お父さんの視点にたつと3場面がお父さんの心のクライマックスではないかと思えます。

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