教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 352回  教材研究は 子どもを抜きにして

教材研究と教科
先生にとって最も大切な学び教材研究です。
教材研究➡児童研究➡教授方法研究の3つのステップがあります。


特に、教材研究は教科領域の学問的な内容に通じています。
算数や理科などの自然科学などの教材の内容及びその解釈については、私見を
挟む余地が少ないです。
もちろん、教授方法については、多様な方法が考えられます。


ところが、社会は社会事象が対象です。
その事象の捉え方によって、教材の解釈が少し変わってくることがあります。
前の「ゴミ問題」も、ごみをどのようにとらえるかによって変わりました。


ところが、物語文教材の解釈は、指導者の解釈の角度によって大きく異なります。
指導者の人生感、哲学が反映しています。


教材研究とは
教材研究は、最初から子どもを抜きにしています。
指導者は、子どもとは関係なく、一人の人間として教材と向かい合います。


子どもにどのように指導するかは指導観の問題です。
電流とは何か、ごみと人間の関係、自然数から整数の歴史など、その教材の背景にある学問としての世界を大切にします。


物語文の場合
国語の物語文の研究は、指導者にとって変わってきます。
もちろん、作品としての変わらぬ価値はあります。
しかし、指導者は、独自に解釈したり感じ取ったりします。
先生は、どの教科の教材も、まず、一人の人間として関わってみることです。


社会科の場合
たとえば、6年の歴史学習、新しい発見、諸説がでてくるなかで、どうしても自分の目で確かめたくなることがあります。
そこで、青森県から宮崎県までの間にある古代遺跡、博物館を訪ねました。
その結果、私は、古代人に心を寄せるようになりました。


歴史学習のはじめ
そうなってくると、社会科の歴史学習が縄文、弥生の生活、遺物を知ることだけではなくなります。
実際の授業において
私は「みんなは今の生活での楽しみを3つあげてごらん。」
そのあとに「縄文人はどんなことを楽しみにしていたのかな、3つあげてごらん」
というような導入を設定します。
縄文人が自然の中で逞しく自然と共存していたことを子どもたちに想像させます。


私は、教材研究が教えてくれた楽しさから、今でも遺跡を巡っています。

×

非ログインユーザーとして返信する