教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 327回 先生の迫力が子どもを魅了する

非常事態のなかで、教育について問題点や提言がなされています。
しかし、ほとんどの場合、教育を言葉でやろうとしています。
今、医療現場の先生は、言葉で治療しておられません。
まさに、命をかけて、体をはって医療にあたられています。
言葉ではなく黙って行動で医者の仕事をなさっています。
私は敬服しています。


さて、教育現場も同じです。
教育を言葉で行おうとする先生が多いですね。
抽象的なスローガンや教育目標をあげても子どもは育ちません。
スローガンさえ唱えておれば、なんとなく安心してしまいます。
やっている気になってしまうことがあります。


それぞれの先生方は、理想もあり行動力もあります。
一年間、実践してみて自分の理想に合致しなかったら、教育に対する考え方とそれにともなう方法、手段を思い切って改めればいいのです。
ところが、先生はあまり他の先生に学ぼうとすることが少ないように思われます。
他の先生に学ぶということは、他の実践を認めることになります。
逆もあります。
周りの先生の実践、学習プリントを収集して、それを適当に使い分けている先生もおられます。
子どもたちには、お互いに「対話的学びあい」という目標をあげていますが、先生同士は実践の交流は少ないようです。


私などは、他の子どもたちの振る舞いがすてきだと感じたら、その先生の教室に参観させていただきました。自分の学級の子どもたちとの差に、うらやましさ、嫉妬を感じることはありますが、それ以上に、自分の力不足を感じていました。


6月ごろになると、職員室では、先生たちの子どもに対する愚痴を聞くことが多くなってきます。
「今年の子どもは去年の子どもと比べて学力が低いなあ」
・・・だから、あなたが努力、工夫すればいいのでは。
「親のしつけ、家庭環境が悪い子が多いから、子どもをしつけるのに時間がかかるなあ」・・・時間をかければいいことです。
医者は患者の病気を選びませんし、回復しないことを患者のせいにはしません。
先生も同じだと思っています。
すべての子どもたちの能力、性格、家庭環境、生育歴は違っています。毎年、子どもたちがちがってくるのですから、今までのやり方がそのまま使えることは少ないです。
だから、新しい子どもたちを前にして、先生は責任と不安を感じるものです。


そうだとわかていても、先生としてどうしたらよいのかわからないことが多いですね。
私は、子どもを育てる時に大切なものをあげるとすれば、それは「先生の迫力」です。「生きている迫力」です。


若い先生がいつもはつらつとして活動されているのも迫力。
子どもをやさしく受け止められるのも先生の迫力。
厳しさと優しさをもって子どもに立ち向かう先生も迫力があります。
子どもは、先生の個性的な迫力に魅力を感じるものです。
授業の技術も大切ですが、それ以前に大切なことは、先生の体からオーラとしてにじみ出てくる迫力です。だから、先生は、もっと個性的であっていいと思います。


個性的な店が立ち並んでいる商店街は魅力にあふれています。
子どもたちは、先生の仮面にひきよせられるのではなく、その仮面の下からのぞく人間的な個性に引き寄せられていきます。

×

非ログインユーザーとして返信する