教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 325回 子どもの万能感 あきらめる力

子どもたちが、幼い頃から将来に対して、自分が行く道について、希望をもって進もうとすることは大切なことです。
将来、野球選手をめざして、少年野球の厳しい練習を乗り越えようとしている子ども。特定の職業をめざして、勉強に取り組んでいる子ども。
学校では、「将来の夢」というテーマで作文指導をしています。
これらのことは、子どもの未来が願いがあれば、何でもかなうかもしれないという前提にあります。


私たち大人の人生を振り返ったとき、子どもの頃の夢や願いを実現できた人はどのくらいいるものなのでしょうか。
大人になっていく過程で、進学していくなかで、自分の実力がわかり夢を修正せざる得なくなったのではないでしょうか。


それでも子どもたちが大きな夢を描いて生きていくことは、自分の人生を牽引させるエネルギーになります。
子どもは、幼いときほど、世界の中心にいて何でも自分の思い通りになるという万能感に満ちています。
やがて、就学するなかで、自分の思い通りにならないことが多くでてきます。
家庭のなかで思い通りにさせてもらっていた子どもは、小学一年生として入学したとたん、自分の思いどおりにならないことにストレスをためるようになります。


集団生活をするなかで、自分という人間が友達という鏡に映し出されてきます。友達の言葉や振る舞いを通して、自分という人間をより客観的な目でみることができるようになります。


したがって、今までの万能感が少しずつ小さくなっていきます。
今の教育で足りないと感じることの一つに、「あきらめる力」があります。成長するとは、自分の願いを捨てる、縮小、変更していくこと、できることとできないこととを明らかに見つめることができること、それが「あきらめる」(諦めるではなく明らかにする)
ではないでしょうか。


少年犯罪に関わっている方のお話として紹介します。
「少年犯罪に関わる子どもたちの多くに共通していることに、幼児的な万能感が色濃く残り、大きな事件を簡単にやってのけられるという過剰な自信をもっています。つねに、自分の思いどおりにしようとしたり、特別な存在でありたいと願っていたりすることが多いです。
さらに、他者に対して、現実的な共感性が欠けていることもあります。思い通りにならないことに強い怒りにかられ、過激な行動に走ることがあります。・・・。」

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