教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 315回 目立たない子どもが集団を動かす

集団維持機能、推進力は、一人ひとりの所属感が重要です。
勉強ができる子が中心になっている学級。
発言をよくする子どもが中心になっている学級。
運動のうまい子どもが中心になっている学級。
先生の親衛隊が中心になっている学級。


真の集団を動かす力は、ふだん学級内で目立たない存在にされている多くの子ども(学級庶民)です。
そのためには次のような条件があります。
(1)むずかしい子がメンバーの一員として全員に認められている。
  勉強や運動が得意でない子、身体的、精神的な障害をもつ子ども
  緘黙気味の子どもたちが、学級の一員として大切な存在であると認められて
  いる学級です。
  どのような子どもであっても、「一生懸命生きている」というものさしで
  友だちを見ることができるようにすることです。
結果ではなく過程を見つめる子どもを育てたいものです。


(2)どんな立場の子どもでも集団に寄与することができる。
  集団に寄与するとは、仲間を支えるはたらきをしていることです。
  行動だけを意味するものではなく、そこに「いる」「いてくれている」という
実感を持つ、持たれることです。


しかしながら、新しいクラスを担任になり指導名簿を見たときの先生の声。
「今年は面倒な子がいないわ、ラッキー」
「あの問題の子どもが私の学級にいるわ。困ったなあ。」
「みんなよい子ばかりで今年は楽勝だ」
このような先生は一部であることをお断りしておきます。
しかし、言葉には出さないでも、内心はいろいろと悩んでおられます。
問題になる子どもの担任になっても、うわべだけ学級成員の一人として認め
ていることもあります。集団に寄与といっても、無理して「スイッチ係」と
か「ぞうきんの始末係」とかを押し付けていることもあります。(一部ですよ)
特に、障害をもつこどもについては、「みんな仲良くしてあげてね」と、特別
扱いをする姿を見かけることもありました。周りの子どもたちは、その障害のある友だちを一年間、ゲスト扱いにしていました。


学級内で目立つ子どもは、ほっておいても目立ってきます。
しかし、最初から目立たない子どもは、今までの学級生活の体験から不安と恐れを抱いている子どもです。
特に、6年生を担任していると、過去5年間の学級生活体験で多くの子どもたちが、自尊感情を失っていることがあります。
「あの子はこんな子」という固定的な見方が友だち同士で支配しています。
6年生の実践の楽しみは、そのような固定観念をひっくり返すことです。

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