教育随想 297年回 教育最前線に立つ先生をめざして
一年間の仕事が終わりましたね。
今は、ウイルスのため地域によって登校事情が違っています。
どのような自然災害、事件事故が起きても、社会のニュースに惑わされることなく、浮き足立つことなく、先生は、冷静に子どもたちを守ることに力をそそぐことが大切だと思います。
世の中の動きがどうなろうとも、それぞれの人たちが自分の役割を果たすしかないですね。
先日も休校中に子どもが海外旅行にでかけて感染したという話がありました。何のための休校なのでしょうか。
でも、非常時には、人間の生き方の底にあるもの、普段は深く沈んでいるものが、表に顔をだしてくるようです。
それらの人間模様を私の問題として考えさせていただけるよい機会だと思っています。
教育の対象は人間そのものです。
経済的、身体的な差に関係なく、人間そのもののあり方を実践的に追究していく仕事が学校の先生です。
現在の社会状況は、子どもたちにどのような姿勢、考え方を強化しなければならないかを考えるチャンスです。それらのことを4月からの教育活動に生かすことが子どもの立場で考えることだと思います。
先生が評論家になってしまっていることが多いです。
他人事のように教育をとらえています。
今の政治をみてもおわかりだと思います。
政治家と政治屋がいます。
本当に国民の生命を守ろうとしている政治家がいます。
とても実践的で具体的に体を張って活動されています。
それとは逆に、自分の議員の資格保持、選挙のための政治的利用などしか頭にない政治屋の方もいます。
先生も同じです。
評論家ではなく実践家であることが大切です。
今、医者が患者と対面して実際に苦労されている姿、最前線にたって患者の命を救おうとしておられる姿には敬服します。
教育実践家も子どもの命(心も含めて)を守る最前線に立つ必要があります。
現場で小さな努力をされている実践家は世の中で目立つことはありません。それは日々当たり前のことを実践されているからです。
これは先生だけでなく、子どもたちの課外指導されている指導員の方も同じです。登下校の時に横断歩道に立っておられる姿を拝見すると、中には、本当に子どもに寄り添っている方がいます。
先生も指導員の方も子どもたちを育てる実践家です。
そこには温もりと厳しさを垣間見ることができます。
休校で地域に返された子どもたちは、管理される学校社会から解き放たれます。その時に、それぞれの子どもの中に育てられた命の種が発芽します。
道路の割れ目からたくましく発芽して、茎をのばしている植物のごとく生きてほしいものです。
「ストレス」がすぐに取り上げられる世の中になっていますが、生きることそのものがストレスです。仏教でいう「苦」です。
苦とは「思い通りにならないこと」です。
思い通りにしょうとすると「苦」になります。
そうではなく、今のあり方のなかに自分の足でたち、今、できることを着実にこなしていくことだと考えています。
コロナに感染しないこと以上に「感染源」にならないことが集団の中で生きる上で大切ですね。
先生がたは、どうか体調を整えて新年度を迎えてください。
次回から、しばらく新年度に向けての準備について、具体的なお話をさせていただきます。