教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 295回  班学習の導入は 意欲を助長してから入れる

「まず、独りで考えてごらん。」
「班で話し合ってごらん」
授業中によく出される指示です。
子どもたちを先生から離す時です。
この指示が時々妙なところで出されることがあります。


授業者が学習を進行する上で困った時です。
子どもたちが停滞して為すすべがないときです。
困ったときの神頼みとして、班の話し合いを使うことがあります。
決して悪いことではありません。先生として自分で学習の方向を考えるときに、子どもたちの動向を探る時にすることがあります。


その指示で子どもたちの考えや迷いがわかることがあります。
ところが、反対に、さらに、子どもたちの意欲が低下してしまうこともあります。


班で考えさせる時、子どもたちが学習前向きになってきたとき、発言したい子どもが増えてきたときに、班学習を堂に結うすると、子どもたちの話し合いは活発化します。


よくあるのは、先生が班での話し合いや活動を導入したとたんに、子どもたちの話し合いが停滞してしまうことがあります。
班を使うときは、それまでに子どもたちを欲求不満の状態まで持っていきます。
言いたくて仕方がない、試してみたくて仕方がない、友達の考えを聞きたくて仕方がないところまで盛り上げてから、班で話し合いや活動をすると、子どもたちの勢いで班学習は進んでいきます。


班は学びを広げたり、深めたり、あるいは、まとめたりする時に活用します。
全体の学習において、子どもたちの興味関心をたかめておいて、子どもたちを離していく、班学習を実施します。
逆に、班学習で子どもたちの意欲が低下してきたと感じたら、全体学習に切り替えて、息詰まっている問題を整理して、新しい学びの角度を助言します。
班学習と全体学習を交互に入れていきます。
独り学習で始まり独り学習で終わります。


一時間の授業の一つの形式として
独り学習→全体学習→班学習→全体学習→独り学習
あとは、その場の教材に応じて、自由自在に変化させます。

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