教育随想 293回 授業 一人ひとりの理解を気にしない授業
一人ひとりの理解の上にたった学習展開を
よく研究会、研修会で言葉としてよく耳にする言葉ですね。
これを考えるためには、一人ひとりの上にたっていない学習展開を考えてみましょう。
学習の目的がすべての子どもに理解されてから学習が始まっていないことです。見切り発車ですね。
何がわかる、どこまでわかればよいのか、何ができる、どこまでできたらよいのかを明確にされていないことです。
さらに、めあてが明確に理解できたら、その学びの過程を特定の優秀児によって独占させることです。優秀児の発言をつないで学習の結論を導きだすことです。
多くの授業がこのタイプになっています。
先生の意図する答えを出す子どもの考えをつないで学習の目標にたどり着きます。
たとえば、ある物語の学習のなかで、主人公はとてもやさしいという先生の意図する答えをだされたとき、「そうだね、やさしいんだね」と、その子どもの意見をとりあげます。
しかし、「やさしい人物」であることが正解に近いことであっても、「そうかなあ、本当にやさしいかなあ。どこからそのように考えたのかな」と、揺さぶりをかけます。
「揺さぶり」とは、子どもが自分の考えに落ち着こうとするのをあえて不安にさせることです。再考を求めることです。
次に、一人ひとりが考え抜いて、がんばってわかった、できたというのではなく、だれががテレビの画面をみるように進んでいく学習過程を第三者的に眺めていることです。スポーツに参加しているのではなく、スポーツの実況中継をみていることです。参加している子どもと友達の学習を参観している子がはっきりしている授業に出合うことがあります。
「おおかたの子どもたちにとって」と「一人ひとりの子どもたちにとって」という理解のものさしではかるのとでは大きくちがってきます。
全員の意欲を膨らませることを目的とするなら、どうしても、学習状況を知るものさしは細かくなります。
ただ、とごまでできるかとなると完璧にはできないことが多いです。
それでも、指導者がどのような理解のものさしをもって授業に臨んでいるかが大切です。
限られた45分間の授業の中において、先生が発言する時間が多いと、それだけ子どもたちの活動時間は減ります。
子どもがひとりで考えているとき、思考している時に、先生がヒントと称して助言するのは子どもの思考を阻害します。
子どもたちが思考錯誤する時間の最初の目安は7分ぐらいです。
いわゆる独り学びの時間が連続で7分間ぐらいから始めます。
これは実体験からでたもので根拠はありません。
5分は短い、10分は長い、その間をとって7分間にします。
黙って、だれの援助をうけることなく考えさせます。考えることに少しずつ耐性を高めるようにします。10分、15分と時間をのばしていく独り学びの時間を設定します。
できるだけ自力で理解させられるような学習展開が大切です。
迷うこと、迷えること、その時間に耐えることができる子どもを育てます。
考える態度、忍耐力の育成をめざすことになります。