教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想289回 学習指導の目標は 自学自習であるはずなのに

コロナウイルスで学校が休校しています。
子どもたちの学習は、学校から家庭に移りました。
ニュースによると、
子どもたちの学力が低下する
家で自分で勉強しないので困っている
子どもは何をしたらよいかわからないので、学校が手だてを与えてほしいなどなど、いろいろなことが報道されています。


さて、これを聞いて私はおかしいと思わずにはいられません。
学校の学習指導は、自学自習できる子どもを育てることに使命があると考えます。生涯学習の基礎を培う場です。
にもかかわらず、子どもたちは、課題を誰かに与えられないと勉強することができない状態になっているということですね。


先日、鴨が生息する公園の池に次のような立て札を見つけました。
「カモなどの野鳥にエサを与えないでください。自立できなくなり ます」
野鳥は自力でエサを捕まえる努力と工夫をしなくなるということです。学習する内容をエサのごとく子どもたちに与えていると、学びにおいて自立できなくなることと同じです。


学習指導は、子どもの学びを独り立ちさせるために、突き放していくことです。最初は、懇切丁寧に、学び方を指導しますが、子どもだけでできる部分を多くしていることが学習指導です。


学校における学習指導を考えてみましょう。
よく先生が出張に出かけるときに、プリントなどの自習の準備をして出かけることが多いですね。
ところが、子どもたちは、課題として与えられたプリントや学習課題が終了すると、することがなくておしゃべりを始めている学級を見かけます。なかには、プリントをするどころから、教室内が騒然となっていることもあります。


実は、先生が出張のために、子どもたちに自習を任せる時こそ、ぶたんの先生の指導の入り方が明らかになるのです。


これを「無指導の指導」といいます。


子どもたちの前から先生が姿を消しているときこそ、子どもたちの学習習慣、学び方がどの程度身についているかが検証されます。
先生が用事で教室を離れる数分であっても、その間、教室の
空気の変化、子どもたちの学びの停滞などを感知します。
そこに先生の反省があります。
まして、出張となると長い時間をあけることがあります。
せめて一週間前から自学自習できるような準備、課題の準備ではなく学び方の指導のことです。


夏休みの長期休校の場合は、子どもたちの独り学びを維持できる子どもは全体の二割程度です。ほとんどの場合は、与えられた課題が終了すると、何をしたらよいかわからなくなります。
独りで学べることを目標とした授業、学習指導を考えていくことが大切です。
それは、自転車の乗り方指導に似ています。
最初は、後ろを持っていますが、やがて、ゆっくりと手を離していきます。倒れそうになると、再び、手をかけます。
最初は手をかけて、やがて、手を離して気もちだけをかけます。

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