教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 283回 不安から依頼心、そして怒りに変わる

現実の社会情勢の中から、教育現場、とりわけ学校現場や教室現場で何を重視すべきかを考える必要があります。
教育効果は、すぐに効果があるものと長い時間をかけて大人になってから発現するものがあります。漢字や計算ができるなどは訓練すれば、その効果が早く表れます。
しかし、人間としての生き方は、学校を卒業してから心の底に沈んでいる教育による心の在り方が浮かび上がってきます。学校時代に、「みんな仲良く支え合おう」と考えて、指導してきたものが、卒業と同時に壊れてしまうことがあります。
前回の公民的資質も同じです。
仲間の痛みを分かり合い、やさしく接すると頭ではわかりながらも実際には行動化できにくいこともあります。


今、災害がおきると「怒り」が極端に表れます。
悲しみが怒りになり、不満が怒りに変わります。
誰かがなんとかしてくれるという依頼心、その結果、何もしてくれないという不満と怒り。
自然災害はいつでもやってきます。
危機管理とは、最悪の状態をイメージとして予測できることです。
地震であれば、ライフラインを維持できるものを準備しておく必要があります。
私の場合は
水、電池、カセットコンロとガス、非常食、アルコールティッシュ、簡易トイレなど、時間をかけて準備してきました。そこまでしなくても大丈夫だと周りから言われても、私が個人でできることが災害の時に、自分だけでなく周りの人も助けることになります。今回の経験から、マスクも備蓄品の中に入れるようにします。


小学校の子どもたちは、依頼心が強いです。
反対に、親は、子どもが頼ってくれること、その依頼心を快く思うことがあります。
何でも親がしてくれるという安心感は強い依頼心に変わります。
親は子どもへの愛情だと思い、子どもに手をかけます。
最初はそれでいいのですが、大きくなっても手をかけようとします。
手をかけずに気だけをかけるようにします。
心配りであり気配りですね。
心配りは心配すること、気配りは、子どもの気配を察知することです。


こういったことを踏まえる、授業のなかで依頼心を少なくしていく指導が必要です。
自力解決です。
すぐに教えてと言わせないようにします。
日々の授業という営みの中に、独りで取り組む姿勢をしっかりと身につけさせるために、「独りで学ぶ」「誰にも頼らない学び」を設定します。
これが以前にお話ししました教育の中距離目標です。
学びをとおして、教科学習を通して、どのような人間を育てるのかを意識します。

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