教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 272回 二分の一成人式に思う

「 4年生では,「人間関係形成能力」の育成の観点から,自分自身の生きてきた過程や出来るようになったことを振り返る活動を充実させていきます。そして、その中で豊かな自己肯定感 を培い,自分自身のこれからの生き方を考え,将来の夢や希望をもつために,さらに意欲的 に生きていく心情を育てていくことがねらいになります 」
 
「指導計画作成について  本単元では,子どもたち自身による家族への取材活動が,まず自らの成長に目を向ける出発点であり,そこから成長過程を概観できる「自分史」の作成を行います。作成過程においては,まず個々の家庭環境に十分配慮します。そして成長の過程で自分を見守ってくれた周りの人々に感謝しながら,自らができるようになったことを実感として客観的に認知できるよう,記入の仕方や書式の工夫が必要になります。そしてそれを出発点として,子どもたちがそれぞれ同じように満ち足りた心持ちの中で,会の役割分担や 準備に取り組めるように支援します。準備の段階から友だちとのかかわりの中で,自分の考えを明確に伝えたり,互いの意見を交流したりする活動を重視するとともに,会の成功によって豊かな自己肯定感が味わえるように指導計画を考えていきます 」



これは、4年生の総合の指導案の一部です。
勉強に来られている先生が、この成人式を指導されました。
その感想を聞くと、本当に必要なのかという疑問がわいてきたといわれました。
歌と作文を通して、自分の成長の喜びと親への感謝を伝えようとする案でした。
どのような行事を設定しても賛成半分、反対(懐疑的も含む)です。
それぞれの見方があっていいと思いますが、実施する先生は目的意識をはっきりと持っていることが大切です。
目の前の子どもたちに対する願いが行事を意味あるものにします。


子どもたちは、自分に対する親の支援は当然であるという意識が強いです。
親への感謝を作文にするとき、子どもたちは、書くことがないという子どもが多かったそうです。それでも学年行事として、実施しないわけにはいかないので、少し無理をさせて書かせたということでした。


子どもたちにとって、親が日常の当たり前の世話よりも、特別に病気で看病してもらったとか、大きなプレゼントをもらったとかいうことのほうが感謝の対象になるようです。
 まして、昨今、家庭の実態には格差がでてきています。
そのような中で、自分史を作らせたり、感謝の作文を強要したりすることにどんな意味があるのでしょうか。
子どもたちが自分の道程を振り返ることは必要ですが、それを強いることが必要なのかはわかりません。
まして、感謝の作文を書かせることで保護者を感動させたいという先生もいます。
それはわかりますが、ややもすると昨今のテレビ番組のように「やらせ」になる可能性もあります。
感謝は決して矯正されるものではありません。ただ、子どもたちに自分にとっての親とはどのような存在であったかという視点を与えることは大切だと考えます。
その結果、感謝の気持ちを持つ子もいるでしょうし、そうでない子もいるでしょう。
子どもたちの姿勢、見方のきっかけを与えることはできますが、その結果を強いるわけにはいきません。



「自己肯定感」をもつことは、子どもにとってとても大切なことです。
「自分はできる」「自分は親から愛されている」「友達からも認められている」という気持ちを持つことです。
これらのことは、普段の学習、学校生活、日々の活動において育てられるものです。行事という単発的なもので育つものではありません。



親が泣いた、何人泣いたということばかりが職員の話題になったそうです。
子どもたちは、少ししらけていたらしいです。
先生の演出と強制が入っている行事に、子どもたちは、ただ従っているだけではないでしょうか。
全員の子どもたちが、自己肯定感を抱いているなら、この行事は実施されてもいいでしょう。
今の自分を育ててくれた周囲の人、動植物、ものに目を向けさせて、それぞれに感謝したいと思うように指導することです。
「もの」というのは、植物や動物、自分が大事にしているもの、それらのことが自分を支えてきてくれたということを振り返るようにします。
親に限定する必要はありません。
親への感謝は、さらに年齢を重ねてから自然にわいてくるものです。


でも、全国には、真剣にこの行事に取り組んでおられる先生もいます。
私は、決して反対するものではありません。
子どもに照準をしっかりと合わせておけば、どのような行事にも意味を持たせることができます。

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