教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 234回  授業修正の場としての個別学習

前回は、机間巡視が、「子どもたちに寄り添う」ことについてお話ししました。
今日は、それに引き続いて、
子どもたちの学習における理解度を把握して「全体の授業に組み入れる」ことについて考えます。


指導者は、事前の教材研究、授業計画において、子どもたちの理解度、興味関心度などを想定しています。
しかし、実際に子どもたちを指導していくと、想定内のことと想定外のことにであうことになります。
想定外に出合うことが楽しいですね。


個別学習を観察して、子どもたちの理解度について把握することができます。
さらに、わかりにくい、つまずきやすいところについても把握できます。


どこが、どのようにつまずいているのか。
どこまでできるが、どこからができないのか。
最初からできない子どものつまずき原因はどこか。
つまずきの原因は想定内であったか。
個人的にだれが大きくつまずいているか。
その子どもをどのようにして、班や全体学習の中で指導していくか。


想定外のつまずき、
もっと子どもたちは理解できると思ったが、そうでもない。
授業計画の修正を迫られます。
このことがもっとも大切なのです。


指導者は、自分の計画をそのとおり最後まで進めることはありません。
子どもたちの学びの実態に応じて、修正していかなければなりません。
これがおもしろいのです。


教材研究のとき、子どもたちのつまずきを事前に予想します。
できるだけ多く考えておきます。
そして、そのつまずきの打開策も考えるようにします。
「予想される困難」として指導案に書き入れます。


それでも、想定外のことがでてきます。
子どもたちの思わぬ考え方に出あいます。
あれあれ、困ったなあと緊張します。
しかし、ここが指導者の力量です。
前もって計画をしたことをマニュアルどおりに進めるならば、誰にでもできることです。


さらに、次のことを考えます。
全体の学習において、
だれの考えを核にすると、学びが深まったりひろがったりするか。
学びの過程の中でどこに時間をかけるべきか。
学習形態をどうするか。
班学習に移行するタイミングはどこか。
これは、全員の子どもたちを相手にしたいという指導者の願いであり良心です。



このようにして、個別学習の実態を把握することで、授業修正していきます。
ふだんの授業で毎日実践して失敗してみることです。
それが授業者の力量を高めます。

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