教育随想 211回 「話す」ではなく「話しかける」指導を
「みんなにわかるように話しなさい」
「みんなに向かって話しなさい」
「はっきりと話しなさい」
「きちんと話しなさい」
「ていねいに話しなさい」
このようなことが子どもたちに指導されています。
必要なことですね。
しかし、これは話す訓練です。
聞き手が誰でもいいわけです。
特定の聞き手を意識していません。
先生が子どもたちに話すときのことを例にとりましょう。
朝会の時に、朝会台にあがって話すときの聞き手は全校生です。
少なくとも特定の相手ではありません。
ここでは、はっきりとわかりやすく話せばいいわけです。
ところが、聞き手が1年生と6年生では、同じ話し方でいいでしょうか。
明らかに違ってきます。
聞き手が特定集団になると、聞き手の子どもたちの様子を確かめながら話します。
さらに、学級の個人に話すときは、相手の子どもの心の中に入って何を考えているかに配慮しながら話します。
これが「話す」ではなく「話しかける」です。
聞き手が先生に何を望んでいるか、期待しているかを考えながら、それに応じて話しかけます。
「話しかける」とは「(あなたに)応じて話す」ことだと考えます。
先生の話は、「話す」ではなく「話しかける」ことが大切になってきます。
授業の中で考えてみましょう。
指導案の中には、発問や質問が前もって書かれています。
これは、「話す」ための台本です。
「話しかける」となると、子どもたちは、この教材を前にしてどんなことを考えているのか、どのような印象をもっているのかを考えて言葉を選んで話しかけます。
いきなり発問から始めることができません。
「〇〇くん、教科書を読んでどんなことが頭にうかんだかな」
「〇〇さん、教科書を読んで、心の中でひっかかったことはないかな」
子どもたちの思っていることに話しかけます。
子どもたちが感じている、考えていることに話しかけます。
そして、子どもたちの思いを聞きます。
それによって、授業の切り出しを修正します。
ところが、「話す」ことだけで授業をひっぱっていくと最後まで無難に流れます。
そうですね、子どもの頭の上を教材が流れていきます。
先生は、時間どおり、指導案どおり授業が進行したと喜ばれます。
どれだけの子どもたちが先生の授業列車に乗り遅れたでしょうか。
先生が前もって書いていた発問、質問,説明の言葉を計画することは大切ですが、授業に入ったときは、先生の頭の片隅に置いておきます。
子どもと教材を通して交流していく中で、自然に話しかけるようにします。