教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 210回話す・聞く 指導 誤解し合ってわかり合える話し合い

今回は、「話す・聞く」ことについて少しだけ掘り下げてみます。


話すということについて、再度考えてみます。
話すというのは、自分の思いを伝えることではないです。
話すというのは、常に、聞き手が前にいます。
その聞き手に「気配り」「配慮」することではないでしょうか。
自分の言いたいことがうまく伝わっているだろうか、少しわかりづらいのではないか、あるいは、興味関心のない話題になってしまったかもという不安の中で話します。


話すことは言葉を使って伝えると考えがちですが、そのようなことはありません。
以前に「沈黙」についてお話したことがあります。
何も話さなくても、言葉を発しなくても十分に話すことができます。
なぜならば、言葉と言葉の間にある沈黙が最も多くを語ります。


話し合い活動において、「わかりやすく」「正しく」伝えるように指導されることが多いです。しかし、聞き手に分かりやすく、正しく伝わるとはかぎりません。
誤解させないように指導されることがありますが、話すといのは、誤解されることを前提にしていると思います。


聞き手にとっても、話し手の話を正確に聞き取ることは無理なことです。
聞き手は、自分の思いこみ、主観の中でしか聞き取ることはできません。
話すということは、相手に誤解されることです。
聞くということも誤解を伴って理解することです。
したがって、話し手も聞き手もその間に生じる誤解をできる限り小さくしていく営み、努力が必要です。


話すとき、聞き手には、常に誤解されて伝わります。
聞き手に理解されていないことがわかると、自分の話し方、内容の程度を修正します。したがって、話すことは相手に誤解させて修正していく営みではないのでしょうか。


子どもたちは話すとき、自分の言ったことが即座に伝わっていると思いがちです。
友だちが理解しないのは、相手がよく聞いていないからだとか、聞くだけの力を持っていないからだと考えがちです。
そこには、自分の話し方を振り返ることはありません。
したがって、分かり合うという営みはありません。


話す聞くとは、「お互いに分かり合う」ことです。
そうでなければ、話し手の言っていることは「独りごと」であり、聞き手にとっては「雑音」でしかありません。
友だちと誤解しあいながら、それを修正しあいながら、心を通わせていけるように指導します。


授業における話し合い学習を参観していると、わざとらしい教室言葉や棒読み的な言葉が目立ちます。
どうして、「話すように話す」ことをしないのかが若い時から疑問でした。
「ぼくに言わせてください」「〇〇さんはどう思いますか」(自分が話したらだれかを指名)
日常生活では、決して使わないような話し方をさせています。
学校が社会生活から離れているように思ったものです。


私は、発表は丁寧な言葉を使わせましたが、話し合いは雑談のような普通の話し方になるように指導しましした。空気が和らぎ自由に考え合うことができます。
「そうなんだ、わたしもおなじことを考えていたわ」
「でも、ぼくはちょっとちがうけど・・・ということだけど。
日常語を話し合いに導入しました。
このようにすると、子どもたちに正しい日本語を教えることができないと思われた先生もおられました。


発表は「多数」を聞き手とします。
発表は、「ぼくは、・・こう思います」で始めます。
話し合いは、「あなた」を対象にします。
話し合いは考え合い、わかり合いですから、子どもたちの個性的な話し方が表れます。言葉にあまり制約を加えてしまうと、子どもたちは、表現方法にとらわれてこわばってしまうことがあります。


さて、子どもたちの話し合いにおいても、これらの誤解を縮めていこうとする営みを指導する必要があります。


一つ目は、聞き手として「聞き返す」ことです。



相手が話し終わったあと「ごめんなさい、もう一度言ってもらってもいいかな」「もう一度、お願いします」という言葉で聞き返すことが必要になります。
ただし、「わかりにくいからもう一度・・」や「話し方が速いので・・」など、話し手のマイナス点を指摘しないようにします。
聞き手の話し手に対する配慮です。


先生の話したことについても子ともたちは聞き返しができるようにします。
子どもたちに何度聞き返されても「何を聞いていたのよ」とか「何回話したらわかるんだ」という言葉は言わないことですね。
子どもからすると「先生は、ふだん、わからなかったら聞きなさいと言っておきながら、聞いたらおこるじゃないか」と思います。 
もちろん、何度も聞き返されるということは、先生は、話し手として反省をしなければなりません。
言葉がはっきりしないのか、説明不足なのか、早口なのか自省を試みます。


二つめは「聞き正す」ことです。


聞き手が理解したことで曖昧なことを「こういうことですね」というように、話し手に聞いて確かめることです。
このような話し合いができると、子ともたちの理解はぐっと深まってきます。
確かめ発言です。
「先生、今の話はこういうことですか」という発言が子どもたちから帰ってくると楽しいですね。


三つめは、話し手として「言い直す」ことです。


聞き手に理解されていないと感じたら、自分の話し方、その内容をもう一度吟味して、言い直すことが必要です。
「ごめんなさい、もう一度言い直してもいいかな」


「聞き返す」「聞き正す」「言い直す」という三つのことを授業の話し合いの中で指導していきます。指導助言として子どもたちに話すだけでなく、実際の場面で話し合いをストップして助言、指導することが大切です。
子どもたちは話し合いの中で相手に配慮した素敵な言葉をだすものです。
先生は、その瞬間を見逃さないようにします。
話し言葉は、参考書にあるのではなく、子どもたちの中から湧き上がってきます。


最後に、聞き手の姿勢として、「最後まで聞く」途中で口をはさまないように指導します。
話し手の話が早くなったら「もう少しゆっくりとお願いしてもいいかな」と話している途中にブレーキをかけます。


話し手は、聞き手の理解を確かめて話すので、相手の顔を見たり、言葉と言葉の間に、聞き手が頭の中で、話し手の内容を反復できる間を意識してつくるようにします。


お互いが理解しあうことは難しいです。
伝え合うこと、分かり合うことをの難しさを子どもたちに気付かせていくようにします。人間は、簡単に理解しあえないということを。
だから、簡単に「わかった」「理解した」と言わせないようにします。

×

非ログインユーザーとして返信する