教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 212回 かこまれ、よびかけ、たずねる季節を求めて

どの学年の教科書にも季節に関する言葉の学習があります。
高学年では短歌や俳句として登場します。
季節を捉える言葉の学習は素敵だと思ってきました。


先日、勉強会に来られている先生が国語「秋を見つけた」という学習のお話をされました。その中で、秋を見つけようと校庭に出たけどカエデの葉っぱが赤くなっていないので中止にしましたということでした。
私は、疑問に感じました。
その先生は、季節を「かえで=赤い」と点でとらえられています。
季節は点ではありません。
季節は「移ろいゆくもの」としてとらえます。
そこに日本古来の「わび」「さび」の姿があります。


カエデの葉っぱの色に全く変化がなかったのですかと尋ねると、そこまではよく見ていませんという答えが返ってきました。
秋=紅葉として点でとらえると、移ろいゆくすばらしさ、季節感を逃してしまいます。
葉っぱもよく眺めると、少しずつ葉の端から色が変わり始めています。
さらに、季節感は「季節を感じる」ことですから、見えるものだけではありませんね。
五感すべてを使って感じ取るものです。
見えるものにとらわれると見えないものを感じることはできません。
もう一度言います。
季節は点ではなく「移ろい」です。


さて、国語の2年の教科書に「まっかな秋」の歌詞(一番)が載せられています。
少し紹介します。


まっかだな まっかだな
つたの葉っぱが まっかだな
もみじの葉っぱも まっかだな
沈む夕日に 照らされて
まっかなほっぺたの きみとぼく
まっかな秋にかこまれている


この学習の課題は「どんなものを見たときに、秋だなあとかんじますか」です。
この歌の一番最後の歌詞が気になりました。
「まっかな秋にかこまれている」の「かこまれている」です。
自然に囲まれているという意識で自分の周囲をながめていくことが大切です。
どれだけの秋に囲まれているか、もちろん、冬であっても同じですね。
わざわざ校外学習や自然学校に行かなくても、自分の周り、地域、学校の周りの自然に気づいていくことが大切です。


この歌の二番と三番の最後の歌詞が気になりましたので調べました。
二番は「「まっかな秋によびかけている」三番は「まっかな秋をたずねてまわる」でした。私は、学習の道筋ができたと思いました。
秋という季節を「かこまれている」「よびかけている」そして「たずねてまわる」という三段階の学習の道筋ができることになります。
かこまれている秋を感じて、それぞれの秋に呼びかけて、秋をさがしにたずねてまわるのです。


四季の変化がはっきりしている日本の姿、国土を意識できるようにしたいものですね。

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