教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 2回 春休みは 学校から離れましょう 忘れて忘れて

一年間の担任、専科の仕事が終わりほっとされていると思います。送り出した子どもたちとの余韻に浸っている先生、あるいは、子どもたちともう一つうまくいかずに悔しい思いをされている先生もいることでしょう。


 4月に入ると、学校は忙しくなります。
 新学期を迎えるまでの過ごし方が大切になってきます。


 新しい子どもたちを迎え入れる前の春休みは、送りだした子どもたち、思い出、実践をできるだけ忘れることです。
春休みも忙しいのでたった一日だけでもよいと思います。
 先生の心を初期設定することです。


 なぜなのでしょうか。
すばらしい実践、子どもたちとの出会いは、いつまでも心にとどめておきたいものです。しかし、そのことが次の子どもたを迎えるときの妨げになります。


 新しい子どもたちを迎えて、必ず、前の学年、学級と比較し始めます。
「今年の子はおかしいなあ」「前の子どもの方がうまくできたのに」と知らず知らずのうちに比較モードに入ります。
 そのうちに、子どもたちへの不満がつのり、以前の子どものように育てようと圧力をかけることもあります。


 以前、担任した子どもたちの4月を思い出してください。やはり、今の子どもたちと似たり寄ったりではなかったですか。
 先入観で、前の子どもたちの基準で接すると、新しく迎える子どもたちをありのまま受け入れることができません。


 低学年担任から高学年担任になるときのギャップも大きいですね。
 先生の心の初期設定をするために、春休みは教育から離れて、旅行するなりして遊びほうけます。そして、前の子どもの名前が忘れるくらい遊ぶのです。
 私は、必ず、長期の旅行にでかけました。


 新しく迎える子どもたちには、新鮮な心で迎えたいものです。
ただ、学校の事情によっては、ほとんど春休みのないこともありますね。
 3月は息抜き、忘却の期間です。
 四月に入ると、静かな戦闘モードにはいります。
体力と心の充電をできるだけしておきたいものです。


 そうでないと、新学期に入ったときに、目の前の子どもと前の子どもとの比較がはじまり、不満と叱責の日々を送ることになります。
新学期に子どもたちを登山口で迎えました。
一年かけて、頂上にたどりつきました。
先生だけが下山します。
そして、再び、新しい子どもたちを登山口で迎えます。
 先生の仕事は、これの繰り返しですね。

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