教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1回  3月から 新学期が始まる

新学期は3月から始まっています。
えっ、まだ、今年の子どもたちとの活動が終わっていないのにどうしてだろうと思われるでしょう。
新学年が決まっていないのに、なぜ、始まるのでしょうか。


先に結論を言います。
3月は先生の指導の反省と次への課題を見つける時期だからです。


一年前の4月にたてた学級経営案を見直します。
学習目標や生活目標が達成されましたか。
おそらく未達成だと思います。
それでいいと思います。
人間相手の仕事は、自分の思うとおりにいかないのが当然です。
毎年、「ああ、今年も十分に達成できなかったなあ」と思えることが、来るべき新学年への動機づけなのです。


子どもの成長、どこまでできたのか。どこができなかったのか。その原因は何かを考えます。
集団として成長させることができたのかできなかったのか。
さらに、授業の反省です。
どれだけ新しい試みをしたか。
どれだけ自分の授業形式をつくることができましたか。
そのように反省していくと、次年度の課題が自ずから浮かんできます。


 そして、来年度の課題をたてます。
 新学期までに、まだ、時間はあります。
 勉強開始ですね。
授業についての試みをこの一週間のうちにします。
今の子どもたちは、一年間育てた子どもたちです。
したがって、指導しやすい状態にあります。
だからこそ、今、思い切った授業を試みみることができます。
子どもの力を借りて自分の授業を強化します。


 教科書の内容がほぼ終了している今なら、自主教材を作成して実践もできます。
 よく先生がたは言われます。
 「新しいことを試みて失敗したらどうしょう」
 医者の手術なら失敗は命に関わりますが、先生の実践は命まで奪うことはありません。
子どもを相手にして、実践が成功したと思えることこそ、先生の傲慢です。
その成果は、子どもの見えるところよりも見えないところにあるからです。
教育の成果は、その先、未来においてにじみでてくるものではないでしょうか。


 残り一週間を野球の消化試合にしてはいけません。
どのようなおいしい料理、フルコースも最後にでるデザートで決まりますね。
一週間の過ごし方が子どもにとって残像となって残ります。
授業は最後までします。
私は、終業式の日は授業で終わります。投げ込み教材です。
私は、子どもたちの思い出が授業の中に残せるような授業実践でありたいと願ってやってきました。

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