教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想197回 リーダーを育てる(2)  支えるリーダー

支えるというと、すぐに助け合いとか教えあいという言葉がかえってきます。
困っている友達に親切にするとか、わからないことがあったら教えてあげるという行動を「支える」としています。
しかし、私が大切にしたいのは、そのような表面的な支えではありません。
親切にしなければと考えてお年寄りに席を譲ることではありません。
「先生、○○さんにわからないことを教えてあげました」と報告にくるような支えるではありません。
助けたり教えてあげたりすることを誇らしげに語る「支える」ではありません。


学習場面を想定しましょう。
わからないことをわかる子どもが友達に教えているとします。
その子は、自分のわかっていることを次々に語り出します。
「ここは、こうなって、次はこうすればいいのだよ」と教えています。
これは優しさではありません、ただのお節介です。


支えるという行為は、「支えられている人」が主人公です。
わからない子どもが主人公です。
わからないことを教えている子どもが主人公ではありません。
すなわち、「支える」という行為は、徹底したわき役です。


教えるというのは、相手の理解に同化することです。
相手の思考を読みとることです。
相手の気持ちに寄り添うことです。


わからないことがあるとき、なかなか友達に聞きづらいですね。
それなのに、教える人が、みんなに聞こえるように大きな声で話されるとつらいこともあります。
そのような気持ちに寄り添うとすれば、静かに、小さく語ることです。


そして、最初に相手の理解の仕方を理解することです。
どこが、どのようにわからないのかを友達に問いかけます。
質問しながら、相手の答えを待ちます。
相手がわからいところを質問しながら確かめていきます。
教えるのではなく解決の道筋にのせてあげるようにします。
そのためにヒントをだします。
「ヒントでピント」くるような助言がいいです。」


教えるのではなくつまずいていることを引き出すのです。
相手のわかり方に寄り添わないで、できる子どもたちは、自分のわかり方を押しつけようとします。


支え方、教え方については、先生は次のように指導します。
わからない子を一人、前に出てもらいます。
算数の学習場面がいいです。
そして、子どもたちに、
「わからない○○くんに教えてはいけません。ヒントだけをだしなさい」と言います。
子どもたちには挙手させて、指名してヒントを出させます。
「だれのヒントで○○くんはわかったと言うでしょうね」


別の方法として、次のようなことをします。
わからない子を一人だします。
教える子どもを一人募集します。
できる子どもは得意そうに黒板の前にでてきます。
そして、わからない子に先生は「本当にわかるまで簡単にわかったと言わないでね」と念を押します。
できる子は、わからない子の原因をさぐることなく、一方的に自分の理解していることを語ります。
わからない子はきょとんとしています。
その様子を全員が参観しています。


うまくいかないです。
二人めの挑戦者を募集します。
三人目、四人目・・・・と、その子がわかったというまで交代します。どうしてもだめなときは、先生に交代します。
「ヒントでピントくる。  そんなヒントがいいのだよ」
と子どもたちに教えます。
あとは、ペアか班の中で実践させます。


支えるという行為は、支えられる人が主人公であることを意識させます。

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