教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 189回 集団2:8の論理

昆虫学者のおもしろい話があります。
「蟻はみんな働き者のように見えますが、全部の蟻が働き者ではないようです。働き者の蟻は全体の約2割で、あとの8割はちょこまか動いているだけでちっとも働いていないのです。これは、どんな集団で調べてもそうなります。」


さらに興味深いのは
「それぞれの集団でまじめに働いている蟻ばかりを集めて新しい集団をつくります。そうすると、たちまち8割の蟻が怠け者に転じます。その集団では2割の蟻しか働きません。」


逆に
「怠け者の蟻ばかりを集めます。すると、みんなが怠けてばかりいるかといえば、そうではありません。新しい集団では、やはり2割の蟻がまじめに働きます。」


イタリアの経済学者V・パレートは、このことが人間にも言えるといっています。
人間の集団においても勤勉家が2割、8割は怠け者だというのです。
たとえば、セールスマン100人がいると、20人のセールスマンが総売上の8割を売り、残りの2割を80人のセールスマンが売るのです。
優秀なセールスマンを集めてきても、優秀なものは2割になり、あとの8割は怠け者に転じます。
成績の良くない者ばかりでチームを構成しても、そのうちの2割は優秀なセールスマンになるそうです。


このような話を聞くと、なるほど思い当たることがあると思ったり、いやいや、そんなことは人間の世界ではと否定したくなったりもします。


私たちは、子どもたちを固定的に見てしまうことがあります。
怠けも者もはずっと怠けるかもしれない。
悪さをする子はそれをやめることはむずかしいかもしれないと思うことがあります。
子どもたちが集団の中にいると、お互いの依存関係が強くなることがあります。「ほくが掃除しなくても他の人がやってくれる」ということが実際に起こってきます。


私は、この話を聞いて、人間も子どもたちも常に集団の中では、私たちに示してくれる姿は、相対的なものだと感じています。絶対的なものはないのではと思います。



かつて、学年で算数を能力別の集団にして指導した学校の話を聞いたことがあります。
その先生たちが「できる子どもたちばかりを集めたのに、なぜか、怠ける子どもたちがてでくるのですよ」「勉強が嫌いで宿題なんかしない子どもたちの集団で、まじめに頑張る子どもが増えてきているのです」


私にはわかりませんが、なんとなくわかるような気もします。

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