教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 174回 情報の洪水の中を 泳いでいる子どもたち

子どもたちが調べ学習をしていると、課題に関係のありそうな資料を集めるのですが、それは課題を解決するための資料でないことが多いです。ネット資料で調べるときは、そのことがさらに顕著になります


子どもたちは、調べるということの意味を理解していないように思えます。
知識を得るということが、テレビのクイズ番組を通して、軽いものになっています。
知識は自分が考えて求めるものに向かって選び取るもの、選択するものが知識です。その選択的知識を得るのがネットによる調べ学習です。
物知りは賢さにはつながりません。


今、大人でも子どもでも情報の洪水の中にいます。
こちらが求めるのではなくて、向こうから押し寄せてきます。
街の看板しかり、テレビのコマーシャルしかり、もちろん、ネットのニュースやその他の情報しかりです。
こちらが課題意識のないところに情報がやってきて「こうあるべきだ」「こんなこともあるぞ」 なんて結論を迫ってきます。
さらに、人間の欲望を刺激します。
その情報を知らないとあたかも時代に乗り遅れるような印象を与えるものまであります。
それがあたかも真実のように思ってしまうことがあるものですね。


子どもたちに安易にネットで調べ学習を実施すると、考えない子どもを育てることになることがあります。
課題を自分なりにしっかりと把握して、その課題に対して自分なりの考え、仮説をたてる必要があります。


自分なりに「こうではないか」という思いをもって検索にあたらせなければなりません。自分の考えを確かめるために、このような知識、情報が必要であると見通せる能力を育てます。
仮説が正しいものとするためには、どのような情報を取得して吟味していけばよいかを学び取らせます。
やがて、資料検索において、子どもが自分の課題解決に必要なものだけを取り出せるようにします。
課題→ネット資料では、先生が問題をだしたとき、すぐに子どもが「先生、答えを教えてよ」という場面に似ています。
子どもが課題に対して、迷う、思い巡らすことが省略されています。


自分が見聞しないものが、向こうから情報となってやってくるときに、その情報を取捨選択わします。
人間は、直接見たり聞いたり、体験したりしてこそ自分の知識として納得できるものです。(それさえも自分にとっては事実であっても真実ではないかも)



今、社会は情報社会で便利になったこともあります。
しかし、便利さは人間の思考の退化につながることがあります。
今日も 情報の洪水の中を泳いでいる 子どもと私たち。

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