教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 175回  「ためこまないではきだそう」中学校の校門の掲示

「ひとりで ためこまないで はきだそう」
ある中学の門のところに掲示されていました。


自分一人で自分の悩みを抱え込まないで、友だちや周りの人に思い切って話してみようということだろうと思います。
ためこんだだめに、悲しい事件が起きています。


しかし、私は、この言葉を読んで考えてみました。ひっかかる言葉なのです。
ためこまないではきだしてしまったら、喧嘩になるでしょう。
ためこまないことになれたら、そこには、悩むという苦しみ、苦痛がなくなるでしょう。
もしかしたら、お互いに甘え合う依頼心が大きくなるかもしれません。
はきだすことを知る、出力できる自分を知ったら自分は楽ですが、はき出された相手は苦痛かもしれません。
だからといって、ためこむことを否定していません。
友達や大人に打ち明けて相談にのってもらうことは大切なことです。


私がいいたいことは別にあります。
「ためこむ」ことも大切であるということです。


自分で思い悩み、耐え抜くことで人間の成長が期待できることも事実です。
今の子どもたちは「ため込む」ことを知りません。
わからなければ、じっと自分に耐えて考え抜くことをあまりせず、「わかりません」「教えて」という言葉をはきだします。
不満があったらストレートにだしてしまう子もいます。


自分を深く見つめることは苦しいです。
自分を凝視し続けることは苦痛です。
悩み続け悩み抜くことはつらいものがあります。
でも、それによって得るものも大きいのではないでしょうか。


 「我慢する」「堪え忍ぶ」「耐え抜く」・・・
 耐えられる心の容量が小さくなっているのでしょうか。
 すぐ切れる子も同じですね。暴力を振るう子もそうですね。
そうはいっても、子どもたちが壊れてしまってはダメです。
そのためには、子たちをたえず見守ることですね。
それを一番できるのは家庭です。学校ではありません
本来は、家庭の仕事だからです。


 「できるだけしっかりとため込んで できるだけ後で はきだそう」
 これもいいかもしれません。
 耐える子ども  耐え抜く子どもをめざして。

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