教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想166回 音楽室から飛び出して 音を楽しむ音楽教育を

かつて、ある市の音楽部の研修会で、音楽の先生の質問にお答えする形で研修会をお話させていただきました。その内容の一部を書きます。


これからの音楽教育にのぞむこと
学校現場で音楽専科に期待すること、意識してほしいこと


音楽教育には、他の教育に比べてハウツ-が少ないのではないかと思います。人間の感性を入り口として、一人一人の子どもたちに自分の世界を創造させることではないかと考えるからです。


 私は、「音を楽しむ」と書いて音楽なのですから、音楽ができるできないよりも、どの子も音楽が楽しいという世界を一時間の中で実現していただきたいと思っています。


私は、小学校時代、親に言われるままにピアノとバイオリンの稽古に通わされました。とても楽しいという感覚はありませんでした。やらされているという感覚が常につきまとっていました。
やがて、中学校でブラスバンドのトロンボーン、高校時代の弦楽合奏でバイオリンをしてからは、自分で選んだという気持ちがあったので楽しい日々を過ごすことができました。


音楽室で学習すると、「すっとしたわ」「元気がでてきたわ」という気持ちがでるような学習が可能ではないかと思っています。
音楽室から帰ってくる子どもたちをいつも教室で迎えるようにしました。
子どもたちが笑顔で帰ってくるのが好きでした。


音楽も他教科と同様に子どもたちの能力差はあります。
しかし、音を楽しむことの経験を積んでほしいと思っています。
音楽がいいなあと感じた子どもたちは、音楽、音の世界に入る下地ができたことになります。


私の小学生のころ、音楽で気持ちよく歌っていると、先生が「音がはずれているわよ」とか「あまりきばらないで」とか言われて、興ざめしたものです。歌にのめりこんでいる時に、技能をいわれると、カラオケで歌っている時に「おまえの歌は音程がずれている」といわれるようなものです。だれも何も言わない、はずれていても拍手がもらえるから、カラオケは楽しいのです。あの世界が、音楽室にあってもいいのではないでしょうか。
それでも音楽指導だから、一定の技能を習得させたいと思うのは当然です。
他教科も根底に学ぶ喜びを味わえるようにしないと、知識のみの学習になってしまいます。
もしかして、小学校においては、音楽は、能力差が一番気にならないところかもしれません。歌もその子なりの声で、楽器も自分にあったもので演奏に参加することができます。


まず,子どもたちにしっかりと表現させます。それから整えても遅くはありません。子どもたちの実態にあわせながら指導していくと、気付いたら先生が目標とする音楽になっていたということはよくあるものです。


音楽の日常化。時間数は減少しています。
音楽は、生涯教育の基礎になるものです。その音楽が学校から影を薄くしていくことは、子どもたちの成長には好ましくありません。


私が勤めていた学校では、毎月、全校生が声をそろえて歌えるように、月の歌があります。
そして、ストリ-トコンサ-トの日常化です。
学校の中に、体の中に血液がめぐるように、音楽の空気でいっばいにします。
音楽室から、音楽をあふれださせます。
ストリートコンサートは、休憩時間に廊下や中庭の片隅で子どもたちが演奏をすることです。音楽を通して、学校の空気を変えていきます。


実際に学年、学級単位で実施しましたが、多くの子どもたちが集まってきました。
廊下の片隅、校庭の木影、中庭などで実施しました。
お互いに聞きあえる環境づくり、音楽を音楽室から外に飛び出させるような活動があったら楽しいです。

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