教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 163回 練習の習熟度を確かめ合う 運動会

今は、どこの学校も運動会の練習に取り組んでいます。
ある学校では、校長先生自ら、各学年の運動会の練習の指導をしておられます。体育の好きな校長先生だそうです。
リーダーシップを発揮して、頑張っておられます。


ところが、その学校の先生に運動会の練習の様子をお聞きすると、以下の意見が出されました。
「ダンス指導の得意な先生なので学べることはいろいろあります。」
「校長先生が直接指導されているので、子どもたちが先生の期待に応えられるか心配です。」
「運動会が迫ってくると、ダンスの形を整えたいので子どもたちに厳しくなっておられるように思う。」
「子どもたちも、最初は校長先生に指導してもらえるので少し喜んでいたが、今では、少し疲れてきたように感じる。」


これは、校長先生でなくても、運動会の日が近づいてくると、子どもたちに、厳しく指導してしまうことがあります。
先生としては、保護者に見せる、見せなければという思いがあるので一方的に形を作り上げることがあります。
限られた時間の中で一つの演技を仕上げるのは大変ですね。


運動会が子どもたちにとって、本当に楽しいものになっているか、子どもたちの表情からくみ取っていく必要があります。
団体競技や走運動は、子どもたちは好きですが、ダンスなどの表現は好き嫌いが分かれるところです。


表現の仕方が覚えられないで、友達とうまく合わせられない子どもたちが出てきます。
その時こそ、小集団学習を生かすことができます。
私は、運動会の練習の進捗状況を終わりの会で班ごとに確認させていました。そして、うまくいかないところを他の友達に応援を求めるようにしました。他の学級も同じ体制をつくります。
演技でうまくいかないところを班でサポートし合えるような体制をつくります。


指導者の一方向の指示だけでなく、子どもたちが自分たちの習熟度を確かめ合いながら、運動会に向かっていけるようにしました。
子どもたちは、この演技をどこまでめざすのかを確認させます。
演技の終点を意識させます。
そうすると、子どもたちのほうから、この部分をもう少し練習時間をつくってほしいという要望が出てきます。


私は、新任の時に初めて運動会を経験した時、なんとなく好きになれませんでした。先生の強圧的(すべてではないですが)の指導のもとに動かされている子どもたちが気の毒に思ったものです。
しかし、そのような指導を否定するものではありません。
運動を指導するときには、厳しさが要求されます。


教育の「教える」ところと「育てる」ところのバランスが必要だと考えます。育てるは、子どもたちの学習意欲に沿って考えます。
ダンスを教えて、子どもたちのどのような力(姿勢、意識)を育てるのかを考えておきます。


運動会の指導するとき、子どもたちにそのねらいと学びの過程を前もって理解させます。補助の先生には、1時間の指導案を作成して、どのような補助をしてもらうかを書いて渡します。
要するに、先生も子どもたちも、運動会の1時間の練習の全体が見えていることです。
学年で学校行事に取り組むときには必要なことです。

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