教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 133回  誤解を越えて分かり合うことが話し合い

棒読みのような話し方、発表の仕方を見直してみませんか。
わざとらしい話し方もどうなのでしょうか。
学校の話し合いが、社会生活での話し合いと、かけ離れていることがあります。


話しているときに、相手は本当に自分の考えを理解してくれているのだろうかという不安。もしかして、誤解、曲解されているのではないかという思いをもちながら、聞き手の表情に目配りしています。
聞き手の思いを考えながら、想像しながら語りかけます。
話すことは、いつも誤解されることが前提であるという意識をもたせます。



低学年の子どもたちは、聞き手の気持ちに関係なく自己主張しています。
お互いの主張、一方通行の応酬です。
そして、自分が言いたいことをいえばすっきりしています。
だからこそ、まずは吐き出させることから始めます。
吐き出させてから聞かせるようにします。


呼吸と同じです。
息をしっかりと吐くと、自然に吸気できるようになります。



高学年の形式的な話し方には、相手が自分の話をどのように受けとっているか、賛成しているのか反対なのか、懐疑的に聞いていないか、納得しているのかということに気配りができるように指導していきます。



そのためには、聞き手が話し手の意図が理解されていないと判断したら、話し手の話を中断します。そして、聞き手である子どもたちに、感想や理解の度合いを話させます。
「〇〇さんの言いたいことは何かな」「どんなことがわかったのかな」などの質問。
そうすることで、話し手の子どもは、自分の話がどのように受け取られているか、客観的にながめることができます。


話し合いは、最初において、多くの適切な中断が入ります。
話し手がぺらぺら流暢に話しているとき、話し手は自分に酔いしれています。   聞き手からすると、間合いのない話し方は、自分の中に話の内容を取り入れることができません。



話し手は、聞き手がなにを求めているか、どのような話し方を求めているかに応じる必要があります。
したがって、「たどたどしい」「間合いのある」話し方が必要になります。
話し手は、自分の考えが誤解されて聞かれているということを前提にしなければなりません。分かり合うことの難しさに気づかせることから始めます。


わざとらしい教室言葉。棒読み的な発言。
読むように話すのではなく、考えるように話していくことを心がけるように促します。



誤解を越えて分かり合うことが話し合いです。
聞き手は誤解している、話し手は誤解されているという意

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