教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 121回 明日の授業に直結する宿題

ある先生が「保護者懇談会の時に、同じ学年で宿題の出し方が違う」という意見があったのでどのようにしたらよいかという相談でした。その学年は、計算ドリル、漢字ドリル、音読練習を課しているとのことです。
 計算・漢字・音読は、それぞれ基礎的訓練的な宿題として定番のものです。
 先生もその宿題をしておけば安心するところがあります。
 継続的にすることで一定の意味はあります。


さて、問題は宿題が学校の授業と直結していないことです。(直結していることもあるのですが)


計算の仕方を学んだら、「わかる」から「できる」という指導が進められ、さらに、家庭において計算ドリルによって「なれる」という活動をするようにします。これはよくあることですね。


「今日は新しい計算の仕方を習いましたね。家に かえってできる人は次のような宿題をだします。今日習ったのと同じ形の問題を3つ作っててきてください。もちろん、自分で答えも作ります。」


次の授業の時に、板書させて答え合わせは出題した子どもがします。
あるいは、前もって用紙を渡してテスト形式に書かせることもあります。自分が作成した問題を自分が採点するという楽しさを味わうことができます。


社会の場合です。
前時に課題(宿題)をだしておきます。
次のような課題をだします。
次の時間の学習のめあてを考えてこさせます。
あるいは、課題に対して、調べる宿題をだします。調べたことを授業のなかで発表させます。
必ず発表させることで、意欲がでてきます。
これらの宿題は強制しませんが「宿題」としてだします。
子どもたちが調べたことを次の授業の中で必ず生かすことによって、自分の勉強が役立ったと思うようになります。


 国語の場合です。
 音読の苦手な子に対する宿題です。
 「○○さん、明日の授業でこの3行を読んでもらいます。最初に指名しますよ。」
 こうして「あなたは「2番目に指名します」と言って、苦手な子どもに少ない行数で音読の宿題をだします。
自分がみんなの前で一人で読むという経験がなかったので子どもは燃えてきます。家での音読練習が目に見えるようです。


理科の「春の生き物」の場合です。
春さがしです。
家の周りの春を持ってこようという宿題をだします。さて、好きな子どもは何をもってくるでしょうね。


宿題をすることで、自分だけでなく仲間の学習に役立つという経験を持たせるようにします。
学校の今日の勉強と明日の勉強をつなげる、つながるような宿題をだしてみるのもいいです。もちろん、基礎的な宿題は継続します。


これは、やがて「予習」「復習」という学習に移行します。
高学年を担任していた時は、予習・復習中心の自宅学習をさせました。

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