教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 120回 親(先生)がよく使う否定表現   強制と押しつけ

 「しなさいといったらしなさい」
 「先生がだめだと言ったらだめでしょ」
 「母さんの言うとおりにすればいいのよ」


先生や親は子どもにとって、権力者です。
先生は、学校という看板を背景にして権力をもつことができます。
試しに、町中で子どもたちに注意してみてください。どんな言葉が、態度が返ってきま  すか。
学校だから、先生や親という看板を背負っているから、目の前の子どもたちは、一応、聞くふりをするのです。


「しなさいと言ったらしなさい」
親や先生の側からすると、子どもに対してかなりいらだっていますね。水戸黄門の印籠を示すようなものです。それほどの効果があるかどうかはわかりませんが・・・。


子どもに確かな目標を与え、それに対する手だてをアドバイスしておくこと、具体的指示が必要です。この具体的な方策が思いつかないときに、つい出てしまう言葉ですね。


子どもにすれば、親や先生の権力を正面から意識せざるえない場面です。
萎縮している子どもは、仕方なしに従います。従わないと、自分に不利益をもたらすからです。
反対に、抵抗、反抗、対抗する子どもはどうでしょう。
親や先生の方針に同意できないとき、自分の思いを貫きたいとき、簡単に従いません。しかし、その結果、親や先生に好意的には見られません。不利益をもたらす可能性がでてきます。
しかしながら、子どもたちが抵抗できるのは、親や先生に甘えているからです。少しぐらい自分を通しても許してもらえるだろうと考えます。
さらに、どのくらい抵抗できるか、先生や親に対して、その加減を試しています。


「母さん(先生)の言うとおりにすればいいのよ」
もちろん、親や先生は、未熟な子どもたちを自分の人生経験の中でとらえます。子どもの未来が見えているかのような錯覚に陥ります。
親や先生は、自分の幼少時代をどれだけ覚えているかが指導する上で大切なことだと考えます。


大人は、自分の成功や失敗経験で子どもを導こうとします。だから、「先生(親)の言うとおり・・・」という姿勢になります。


その根底にあるのは、子どもがつまずかないようにしたいという大人の欲だとも言えます。
子どもの人生は子どものものです。先のことはわかりません。
失敗することで大きくなることのほうが多いですね。
まちがってみて、まちがわないように気を付けたり、けがをしてみて、けがをしないように意識したりする気持ちが生まれてきます。


 それでも、子どもに伝えたいものですね。
 無駄だとわかっても、つい、言ってしまう大人の心に映るものはなんでしょうね。

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