教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 122回 夏休みの宿題の成果は 先生の学習指導の評価

宿題が画一的に子どもたちに与えられています
保護者も宿題がなく遊んでばかりいる子どもを見ることが耐えられないようです。
一応、机に向かっていたら安心している保護者も多いかと思います。
だから、先生も一応、宿題の用意をします。その宿題で学力をどのくらい伸ばそうという思考は曖昧です。夏休み即宿題という考え方が惰性的に定着しています。


宿題がなければ子どもの学力は落ちてしまうものでしょうか。一度、学校も全体で試してみるといいですね。
親は不安になり塾の夏期講習に子どもを通わせたり、市販のドリルを購入して指導したりすることもあるでしょう。
一方では、夏休みは時間があるのだから、子どもたちに計画させて自主勉強させようという試みもでてくるでしょう。


 「したいこと、やってみたいこと」のある子どもは優秀です。目標をつくって意欲的に取り組める子は、学びのできる子どもです。
このような子どもは、学級の中に2割ぐらいいます。
先生が指導しなくても自分で自主的にこなしていく子ですね。
まずは、してみたいことを計画させます。それが勉強に限る必要がありません。 


子どもたちと共通理解を持ちます。
勉強は、自分の中にある、あるいは、眠っている力を大きく伸ばしでいくものだいうことを確認します。
したがって、体力づくり、トレーニング、スポーツの練習、野外活動、美術館や博物館への通い、コンサートに参加、旅行など、すべて自分の中にある、未知の能力を伸ばし広げるものですから勉強であると認識します。
机上の勉強だけが勉強ではありません。大人は、子どもたちの勉強に優劣をつけようとしますが、本来、子どもたちを夢中にさせるものはすべて勉強ではないでしょうか。


海水浴、プール水泳、体力を育てます。健康増進です。これ話し合い遊びではありません。勉強です。


勉強と遊びとの違いは、目的をもって行っているか、いないかです。
ただし、子どもの場合には、その区別がないことが多いです。本来、遊びとは「夢中になること、没頭すること」だそうです。


ちよっと話をそらしますが、私の勉強方法についてお話します。
勉強の仕方は、先生になってからも退職してからもずうっと同じ方法で勉強しています。
 能率手帳に勉強を計画・実行したことを記録します。
 勉強の科目を次のように設定しています。


 教材研究 哲学 心理学 仏教 人文科学
 社会科学 自然科学 文学 数学 芸術(鑑賞)
 言語(漢字検定)  文筆活動 思索(ノート思考)  パソコン研究  登山 観光 ウォーキング  栽培活動  作務(清掃活動など)


 これらの活動は45分間を1単位として実行しています。45分間は授業で身につけた時間感覚です。
 自分自身を育てるもの、すべてが勉強です。
 私たちは、知らないうちにいろいろな勉強を差別しているように思います。


 すいません、話を戻します。


夏休み前に子どもたちに計画を立てさせることは重要です、できるだけ幅広い勉強に取り組ませます。


そして、おもしろいのは、夏休みが終わったあと、子どもたちの作品や学習内容を掲示する場を夏休み前に確保しておくことです。


たとえば、ある子が、絵を描くという計画をたてたなら、先生がその作品を掲示する場を色テープで確保しておきます。まるまるさんの絵という名前もつけておきます。
これは結構効果的でした。
自由研究や習字、旅行記などの展示場所を確保しておくのです。運動会の観覧席の場所とりのようなものです。


 終業式のときに子どもたちに話します。
「今日から、長い休みに入ります。二学期の始業式のとき、今よりも日焼けして元気になって戻ってきてください。まずは、暑さに負けない体力づくりです。体力づくりができた人は夏休みの宿題の半分は終了です。」


さらに「夏休み明けは、みなさんが宿題がてきたかどうか、催促しません。できた人だけ始業式の日に先生の机の上に提出してください。」
「ですから、夏休みの最後の一週間に宿題ができていないので無理をしてがんばらないようにしてください。」


 こんなことを言うと子どもたちは、すべて宿題をしてこないのではないかという心配がありますが、それはそれでいいと思っています。


夏休みは先生の指導から離れます。
宿題をするかどうか、勉強をするかどうかは、実は、先生方の一学期間の学習指導の成果が試される時なのです。
何もしてこなかった子どもがいたとしたら、その責任、指導責任は先生にあります。
その子を先生の2学期の学習指導の目標にすればいいという気持ちをもたれたらどうでしょうか。
夏休みの宿題の成果は先生の指導評価です。

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