教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  118回 悪(わる)と言われ続けた子ども 

 A君は、新学期が始まってから6月の中旬ごろまでは、友だちとのトラブルがたえませんでした。特に、すぐに手がでる子どもでした。
しかし、その原因は家庭にありました。


彼の父は家を出ていました。母子家庭として、母親が毎日、勤めておられました。問題なのは、大学浪人3年目の兄がいたことです。ほとんど、ひきこもりの状態でした。A君はその弟ですが、買い物などの使い走りをさせられていました。兄の機嫌が悪いとたたかれていたようです。時々、顔にあざをつくっていました。


家庭は決して安心の場ではなかったようです。そのストレスのはけ口が友達に対する暴力になっていました。「ワル」としての友だちの評価が変わらない限り、彼の居場所は学校の中にはありませんでした。


私は彼が暴力をふるうたびに胸が痛みましたが、それ以上に彼は、コントロールのきかない自分に苦しんでいたように思えました。
私は、彼に「なあ、ちよっといいかな。あなたが、暴力をふるったとき、私にすぐに伝えてもらえないかな。そのあとのことは、一緒に考えよう。」と話しました。
私は、暴力的な彼をも引き受けていこうと考えました。自分の問題として、指導の問題として考えることしかないと思ったのです。


それ以後、6月に入ると、自分が起こしたトラブルを報告に来るようになりました。
他の先生から「A君、また、やらかしたよ」と言われても「はい、彼から聞いています。また、話をします」と答えるようになりました。
彼は自分をどうにかしてほしいと思うようになりました。


あるとき、彼から次のような申し出がありました。
「先生、朝、早めに学校に来て勉強してもいいか?」「放課後も残って勉強したいんだけど・・・」という話でした。
彼にとって、私のそばにいることで落ち着くのでしょう。
もちろん、私は、了解しました。放課後は、下校時間、ぎりぎりまで教室で勉強していました。彼の座席は、私の一番近い所にしました。休憩時でも気楽に会話できる距離にしました。


彼のような子どもは愛着障害です。
自分を認めてもらえない、十分に愛されてこなかった子どもが不安に陥ることにより、攻撃的になったり、友だちとの壁を作ったりします。
親に十分な愛情を注いでもらえなかったことで、自分の存在が薄くなっています。彼は日に日に、私に心を近づけてくるのがわかりました。
それにともなって、表情が穏やかになってきました。暴力も完全にはなくならないですが、減少傾向にありました。


夏休みに入るとき、「先生、学校に来るときがあるでしょ。ぼくも行っていいかな?」と尋ねてきました。「花の世話と水やりにくるけど、よかったらきてもいいよ」と答えました。彼はうれしそうに「家におってもつまらないから 行くで」と返してきました。


夏休みは、彼との交流の時間が増えました。他の子どもたちも彼のそばに近づいてくるようになりました。「先生、A君変わってきたなあ」と話すようになりました。
子どもが変化するのに最低3カ月かかります。その3カ月が先生にとって一番苦しいときです。時には胃痛で寝られなかったこともあります。(ストレス)


学級も子どもも指導の成果が表れるのは、6月下旬から7月上旬です。これは、私の体験を通していえることです。
したがって、4月からの3カ月は、一年間の労力の半分以上を使います。


さて、彼の場合、よくなってきたなと思って安心してはいけません。彼は、やがて、私の思いもよらないことをします。ワルに少しもどるのです。
これは、先生をためしてくるのです。先生が本当にぼくを受け入れたかどうか、安心できる人かどうかを確かめるためのものです。


ワルに戻ったときに「前はよかったのに、どうして、そんなことをしたの」と叱ってはいけません。そうではなく、「あなたには似合わないよ」という言葉を伝えます。
実は、この言葉は、指導する上で非常に有効なのです。


彼は、2学期の後半には、算数の教科書を全部終えて、中学の参考書を開いて勉強するようになりました。彼なりの自信の表れです。


彼の未来は、家庭環境を考えると決して明るくはありません。
しかし、一つでも彼らしいものを育ててやれば、そのことが、マイナス行動にふれても立ち戻る場所になります。
これでA君の話を終わります。

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