教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 119回 先生や親が、よく使う否定表現 

無意味な言葉だとわかっていても、つい、習慣的に使ってしまいます。しかし、よく考えると、それでいいのかという疑問が生まれます。


「はんかち持った?」「ちり紙は?」(世話)


どうしても細かいところで世話を焼いてしまいます。妻は、大人になった長男にも同じような言葉を発しています。長男は「わかってる、うるさいなあ」と不満をもらすことがあります。
子どもが考える前に先に指示してしまうと、子どもにとっては、親のいいなりという感じがします。 反面、うるさいけど、世話されているという安心を感じることがあるようです。


もう一つの見方です。
「ハンカチ持ったらちり紙も持っていきなさい」
一つの言葉で2つのことを指示しています。
低学年の子どもにとっては、混乱を招きやすいです。
そういう意味では、はんかち、ちり紙と、一つずつ指示するのがいいです。


 「宿題やったの?」(催促)
 
宿題=勉強という捉え方をしています。
ただ、勉強を催促されると、自主的に勉強をしようという気持ちがしぼんでしまうことがあります。
親にとって、宿題さえしておれば安心という気持ちが強いようです。勉強はもっと広い範囲のものです。絵を描くことも、歌を歌うことも、ある意味では勉強ではないでしょうか。
宿題がなければ、勉強はないという考え方。
勉強には、学校の勉強を出発として、復習・予習・調べ学習・探究学習などがあります。


「あんたがよくないのよ」
「そんなことでいいと思っているの」(非難・攻撃)


先生もそうですが、子ども同士のけんかの仲裁に入って、子どもの気持ちを詳しく聞かないで、「あんたがよくないのよ」と決めつけてしまうことがあります。
特に、何度もけんかの原因を作っている子どもに対して、先入観をもって見ているので、その子が悪いと決め手かかってしまいます。


私がよくわからないのは「そんなことでいいとおもっているの」という言葉です。悪いことをしてしまったほとんどの子どもは、悪いと思い、そんなことではよくないと考えています。
この場面でも具体性がありません。はっきりとなにが悪いのかを指摘する必要があります。
また、「そんなことでいいと思っているの」という言い方には、権力をもった先生や親の上から目線を感じます。
こんなことではよくないと思っているけど、自分ではどうすることもできないという子どももいます。先生が手を差し伸べる子どもです。

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