教育随想 1104回 子どものご機嫌とりが 学校の目的ですか
元来、学校の存在意義は、社会で必要とされていることを子どもたちに教え込むために開設されたものです。
学校生活のほとんどは、大人が編み出したことを半ば強制的な方法で教え込みます。
それは、決して子どもにとって「おもしろい」「楽しい」とばかりは言えない場です。
かつては、学校は、教科指導を通して子どもが大人社会に進出するための「人間修業の場」と受け止めていました。
そこに、職を求める教師には特別な尊敬の念をもって見守ってくれた世間がありました。
ところが、学校は「管理主義」「校則問題」「偏差値」「賞罰」「強制」「集団行動」「画一的指導」「いじめの温床」「先生の指導力低下」等、保護者やマスコミにたたかれることが多くなりました。
そして、今では、すっかりソフトムードの漂う場に様変わりしてしまいました。
学校での様子を伝え聞くと、歓楽街に足を踏み入れたような雰囲気になっているところもあるそうです。
子どもたちの落ち着かない態度、自分勝手な行動、先生を相手にしない不遜な行為も珍しくないようです。
よく校外で子どもたちを引率されているところを見受けることがありますが、だれが先生か見つけるのに時間がかかります。
子どもも先生も同じ「気」が出ているからです。
子どもたちの校外学習で博物館で出会うことがあります。
熱心に学習している学校がある一方で、何を学んでいるかわからないざわついた空気を漂わせている学校もあります。
引率の先生は「しずかに」と声をかけることがあっても行動を制御することはありません。
学校が厳しさを失ってしまったように思います。
学校の外からのクレームによって、学校も先生も骨抜きにされてしまったのでしょうか。
もちろん、現場の先生は熱心に子どもたちの教育に取り組んでおられます。
熱心のあまり、保護者からやりすぎたというクレームがでてくることも聞いています。
学校は、子どもにとって必要なことは、勇気をもって主体的に」取り組む必要があります。
難しいことはわかります。
教育の仕事はわりにあわない仕事です。
努力しても周りから認めてもらえないことが多いものです。。
真面目な先生ほど、保護者から訴えがあると現場の先生からうかがったことがあります。