教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1102回 指導なのか 指示なのか

講師の先生を採用試験に合格させるために指導しています。
指導しているのか、指示しているのかどうなのでしょうか。


指示ならば、教材の学び方、内容理解を促します。
ほとんどは、指示ですね。


指導とは、合格に導くためにどのような手だてをうつか。
導くから指導です。
導けないなら指導者ではなく指示者にすきないのです。
合格させることができなかったら指導者としては失格です。


学び手は、こちらが思ったようには勉強しないことがあります。
期待どおり勉強が進まないこともあります。
いらいら どうして そんなこと簡単では 気持ちが足りない。
不平不満が出たり入ったりすることもあります。


愚痴ったら指導者ではなくなります。
医者がどうして胃腸を悪くしたのかと患者を責めてもしかたがありません。
患者を責めたら医者ではないです。


目の前の事実を凝視してそこから方法を考える人でなければならない。
お尻を叩いているだけではだめ。
覚えるための方法を考える必要あり。


幾度も見直す、読み返す、書いて覚えるというのは指導ではない。
たんなる指示にすぎない。
覚えられない自分があるから意欲がふくらまないのです。
覚える意欲を膨らませるための手だてを考えなければならないです。


こちらの手だてが尽きると相手のせいにすることもあります。
それではだめだ。
相手が能力が弱いほど、私はにとってはチャンスではないか。


このようにして、大人の指導をしていると、常に、子どもの指導と重なってきます。


指導なのか指示なのか。
学び手の気持に立っているか立っていないのか。
教えることが強調されていないか。
どれだけ待っているか。


私は、よい経験をさせていただき、相手の講師の先生に感謝しています。

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