教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1007回 新学期 すでに学級が解体している


一学期、意識して学級づくりに取り組まれたことでょう。
そして、夏休みを迎えました。
二学期を迎えました。
ところが、無残にも一学期の姿は消えていたという例が多いです。


その理由をお話します。
一学期は、個人のやる気を高めるために月日を重ねたのではないからです
学級のスタイルを求めた結果なのです。
下駄箱やロッカーの管理、廊下の歩行態度、挨拶の奨励等の管理。
学習における全員発言。
学びの追究りも全員が発言することを目的としていました。
正しい学習姿勢や挙手の姿勢。
「わかりません」「はい」の強制。
話し手を見なさいという全員集中視線の強要。


いずれも子どもの意欲に基づいたものではなく担任の一方的指導で形作られたものです。
いわば「砂丘の楼閣」ですね。
このぐらいでしたら一週間もあれば、強制して形を整えることはできます。


反対に、子どもの自主的な意欲を引き出すことを通しての学級づくりは違ってきます。
出発において、子どもの興味関心に基づいています。
さらに、子どもたちが自分たちの学習や学校生活の改善に意欲を示します。
その姿は学級内に定着されます。
だからも学級の基礎作りは4か月かかるのです。


子どもたちは、学級を通して集団生活の向上を考えます。
学習を通して、個人の学習意欲の向上を望みます。
そのような時は、学級は一人ひとりの子どもたちと深く関わってきます。


ところが、管理の目、押し付け、服従、評価などの先生の考えや行動は、子どもを外から刺激し、枠にあてはめこもうとしてるにすぎません。
だから、40日間も学校生活から離れていると元にもどるのです。


子どもを慈愛の目て見守る。
子どもの自発性を促す言動。
ぼくも「できる」という有能感に燃える学習活動。
自分も参加したい、参加できるという楽しさ。
友だち同士、お互いに支えあっている喜び、和やかさに支えられているが学級生活。
これらの考えに基づいた実際の活動が学級という集団を向上、発展させていきます。

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