教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1002回 違いこそ 学びの原動力 学習集団

学級づくり、集団を育てる、集団学習・・・。
現場の先生の指導の様子を伺っていつも感じることがあります。


問題になる子の生徒指導に手を焼いている。
教科学習の指導が個人のみに対応している。
遅れている子ども、教科内容が理解できない子どもへの手だて。
ほとんどが子ども個人をどのように指導するかという相談が多いです。
個人をとりまく環境を問題視していません。


学級担任だけでなく、複数の先生が指導に当たる(複数担任)実践が見られるようになってきました。
学習も担任以外の先生の指導(専科制)もすでに導入されています。
その理由が気になるところですが、「一人の負担が少なくなる」「複数の目で子どもを指導できる」というメリットがあげられています。(本当にメリット?)
これについては、別の機会にお話します。


「学級集団」の指導に対する比重が小さくなっているように思えます。
個別的な家庭教師ならそれでいいと思いますが、学校は学級集団を基礎にして教育活動が
行われています。


今年も狭い庭できゅうりとトマトを栽培しました。
どちらも順調に育ちました。
花でも野菜でも基盤は土づくりです。
肥料だけでなく空気が通りやすいやわらかい土づくりです。
土が痩せていると、どんなに良い苗であってもうまく育ちません。
私は、自分の気に入る会社の種子を購入、発芽させて野菜、花を育てます。
しかし、基盤は土なのです。
土という環境づくりです。


土づくりが集団づくりです。
学級という土づくりに手を入れてきたのが一学期です。


私が集団づくりに力を入れてきたのは「学習集団」です。
授業における「学習意欲を膨らませる」「深い学習ができる」学習集団です。
学習集団は、お互いの考えをだして切磋琢磨します。
問題を起こさないように規制をかける「生徒指導集団」ではありません。


学習集団のねらいは二つです。
一つめは、個々の学びをつなげて深める集団学習です。
二つめは、学びあうことで個人の学習意欲を膨らませる集団学習です。


何を学ばせるかは大切なことですが、それだけでは学習意欲につながりません。
学習内容を集団の中でどのように学ばせるかが重要です。


一人で勉強するのも楽しいが、友だちと協力しあって学ぶともっとおもしろいという感覚を満たします。
国語の読解学習は、一人だけでは読めないことが友だちと意見を交わすことで、違った世界が見えてきます。
お互いの学びあいが個人の学習意欲につながります。


算数においては、個々の子どもの理解、能力の差を生かすことで個々の学習が深まります。


集団づくりの基礎は「認め合える」「支えあえる」ことです。
個々の子供たちの分かり方を差別なく受け入れられるようにします。
分かり方の違い、認識の違いが学びの原動力です


ちなみに、すぐれた授業は共通性よりも違いを学びのエネルギーにしています。
一つの答えに向かって学習するのではなく、学ぶほどにお互いの違いが明確になってきます。
そこが集団学習の醍醐味です。

×

非ログインユーザーとして返信する