教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1001回 七つの顔をもつ先生

先生方は、学校におられるときにどのような顔で過ごされていますか。
いや、どのくらいの顔をもって過ごされていますか。


子どもに微笑みを浮かべて話を聞くときのやさしい顔
子どもと共に笑いあっている時の和やかな顔
子どもを厳しく注意したり叱ったりする時の厳しい顔。
学びを追求しているときの真剣な顔
机に向かって集中して仕事をしている時の真面目な顔
子どもを前にして落胆して悲しむ顔


顔は、子どもと先生の気持ちの交流の入口です。
どんなに言葉が巧みてあっても、子どもは先生の表情(顔)を通して先生の真意を理解します。
低学年の子供たちは、先生の顔色を伺っています
なんとか先生の意図していることに応えたいと思う子です。
子どもは先生の顔に縛られているとも言えます。


先生の表情は、ふだんの生活と同じでいいではないかと思われることもあるでしょう。
医者は医者としての顔で患者と接します。
レストランの接待係は、お客に少しでもおいしく料理を食べてもらうために、それなりの表情を見せています。
物を売る店では客に愛想よく接しています。
職業によって、顔は仮面なのです。


先生も似ています。
子どもたちは先生の顔を見て一日を過ごしています。
先生がどんなに優しい言葉かけをしても、先生の顔が違うものを伝えている場合があります。
意識して自分の顔、表情を鏡の前で点検します。


上にあげた顔は6つです。
一つ足りません。
私が授業において、最も多くの時間をさいた顔です。
それは「ポーカフェイス」です。
ポーカーフェイスとは
「感情を表に出さず表情を変えない顔
」です。


私がそのことを考えるようになったのは授業においてです。
子どもたちが発表したあと、必ずと言っていいほど先生の顔から問題の正否を求めていました。
自分にの求めている答えをだした子どもの時の私の顔。
そうでないときの顔。
ポーカフェイスは、トランプゲームのポーカーにおいて、自分の手札や考えを悟られないように表情を無くそうとすることに由来しているそうです。


子どもの学習、特に、子どもたちの話し合いの場面では無表情を装って聞いてきました。
子どもたちが、自分の考えがよいかどうかを判断を私に求めないようにします。
話し合いが対立しているときは、私は、どちらの考えにも頷くことはありません。
無表情に聞いているだけです。
だからこそ、時々、私が首を傾げたり頷いたりすることが、子どもたちの学びの追求に大きく影響することがあります。

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