教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1000回 授業で差別感が育つ

学級集団において、自分が周囲から受け入れられているという安心感をもてることは大切です。
子どもは、集団の中においては、皮膚感覚で周囲の目を敏感に感じ取ります。
自分は友だちからどのように思われているか。
自分は好かれているか嫌われているか。
自分の言動を認めてくれているかどうか。


子どもたちがお互いに認め合える安心感のある学級集団。
それを実現させるのが授業なのです。
生徒指導ではありません。


「間違いを笑う」嘲笑です。
どうしてそんな簡単なことを間違うのだという雰囲気。
はっりと言えないで、口ごもっているとかすかに軽蔑するような含み笑い。
実は、このような笑いの発信源し、「先生の笑い」なのです。
間違ったときの子どもがあったとき、子どもたちは、ちらっと先生の表情を見ます。
その表情が子どもにも表れるのです。


次に「考えが異なる」時に受け入れられかどうかです。
発表や話し合いの時に、異なる考えがでてきます。
学習が得意な子が発言すると、周りの子どもたちは一目おきます。
ところが、そうでない子の場合、「おかしな意見だ」という表情で見ます。
その空気を敏感に感じ取る子どもは、自分が受け入れられていないと感じます。
その時に、先生の助言はとても重要なのです。


その子の考えを軽く聞き流さないことです。
学習の進行過程において、子供の発言をていねいに位置づけていく。
「そんな考えもあるんだね」では駄目です。
先生が自分の計画、予想のなかになかった発表を聞き流す傾向
にあります。
先生にとって都合のよい考えだけを取り上げて、自分の授業を構成します。


「へえ、あなたの意見、もう少し詳しく聞いていいかな」
「おもしろいねえ、今までになかった意見だね。もう少し、詳しく話してごらん」
このように、子どもの発表を通して、その子を受け入れます。
周りの子供たちは、その時の先生の様子を見ています。


授業中の話し合いは先生も主体的に取り組まれます。
しかし、発表を聞く子どもたちの表情に目がいかないことがあります。
お互いの考えを周りの子供たちが、どのように受け止めているかを常に意識します。

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