教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想998回一学期実践(12) 集団に寄与する 集団に従う心を育てる

3の段階
 一人ひとりの子どもの心を拓く


子どもたちは、やがて社会を支えていく存在です。
国民として、地域の人として、周辺の人々とつながりあって生きていきます。
社会は共同体です。
そのなかで共に生きていけない子どもであっては、子どもたちは卒業と同時に生きることに失速してしまいます。


個の生き方と集団内における生き方とは両立できるように育てなければなりません。
私たち大人も職場、地域という共同体のなかで生きています。
それぞれの集団のルールに従ったり、あるいは、その集団に自分の力を寄与しています。


学級集団は、個と集団のバランスをどのように保っていくかを学ぶところです。
子どもたちは、日々、学級集団から何を学んでいるのか、学ばせるのかを考える必要があります。


みんなと共に学習、掃除、給食などの生活において、一定の行動様式を学ばせます。
ルールを教えるのではなく、ルールがあると自分が生活しやすいことに気付かせます。
ルールは教えるものではなく気付かせるものです
学級生活の問題を乗り越えることで、ルールをつくっていくことに教育的意義があります。


もう一つ、集団生活をしていることの意義は、個人の力を集団に寄与することです。
大人でも、職場や地域に行動することで寄与しています。
子どもたちは、学級生活を営むことを通して、自分の力を発揮できるように集団の仕組みを整えます。


学習においては、自分が学ぶこと以上に、友だちや集団学習に寄与することが求められています。
「支えあう」「関わりあう」「対話的」などの言葉もそのことの大切さを含んでいます。


子どもが集団、友だちから学ぶ力
子どもが自分の力を集団に寄与する力
子どもが集団に従う力(必要において)


今、集団と個の関係を見直す時が必要だと考えます。
個の在り方だけが強く目立っているように思えてならないからです。


学校は、国民としての子どもたちをどのように育てるかという視点を持っています。
どの時代においても、教育は、その時代の社会を支えてきました。

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