教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 967回 子供が求める授業 期待を裏切る授業

今の子供たちは英知にとんでいます。
昔のように、先生の話をわかっていても我慢して聞くことが苦手です。
一言聞いて頭が回転する子が増えています。
質問することがすぐに浮上してきます。
中には、納得のいくまで聞き返す子供もいます。


学習の目標と内容がわかったら、すぐにやってみたいのです。
先生の長ったらしい説明を嫌がります。
「わかりましたか」「わかりましたね」に侮辱を感じる子供もいます。
このような子供が増えています。
授業者の薄っぺらい知識を見抜いてしまいます。
まして、教科書をマニュアルどおりにこなしている授業では、子供たちの学習意欲は盛り上がりません。


そうであるならば、子供たちが期待する学習とは何でしょうか。
①自分の期待していた学習に合致した学習の流れ
②学習後の自信あふれる達成感
③自分が思いもしなかった学習の発展、結末、そして得た素晴らしい
 充足感。


能力に関係なにく学級のすべての子が、学習の進行にしたがって参加意識を高めていきます。
ふつうは、進行にしたがって、諦めていく子が増えます。
やっぱりぼくはだめなんだという敗北感。


学習の参加意識が高まると、緊張のなかで一時間の学習内容を消化します。
ここで得た学ぶエネルギーが次の授業の起爆剤になります。
これを繰り返していくうちに、
 仲間や先生と一緒に学習する醍醐味を体得します。
 自分だけの学習では、およびもつかなかった学問の広く深い領域に 
 引き込まれていきます。
 そこへ誘う先生の造形の深さと巧みな演出に魅了されていきます。


いつのまにか、子供たち一人ひとりが、傍観者から主役の座を得ていることを実感。
これは理想ではありません。
程度の差こそあれ、授業によって一人ひとりの子供の心を拓くことができます。
一年ごとの積み重ねです。


三年目の先生には、三年間の年輪が刻まれているはずです。
そして、10年、20年・・・と先生の指導は円熟してくるものです。
ただし、マニュアルから入っても、やがてその枠から飛び出していく先生の授業姿勢が子供たちを意欲的、自主的なものにします。

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