教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 966回 学力優秀だけが 先生ではない

今からお話するのは、私をかつて指導してくださった先生のことです。
先生が最初に赴任されたのは、札幌市の小学校でした。
一学級70名、各学年約500名、先生の数は70名おられたそうです。
その先生のなかでも、「あの先生に習ってみたい」という先生がいました。
その先生は、先生らしい風格があり、その学級の子供たちはすべて生き生きしていたそうです。
周りの先生は、いろいろな面で啓発され、尊敬の念を強くし、自分の未来をその先生の上に重ねてみる人が何人もおられました。


当時の先生は、教え方の優劣はもちろん、体罰を課す、怒鳴る、愚痴る、千差万別だったようです。
私の新任時代もよく似たようなものでした。
ところが、当時の先生は、どの先生も子供たちを懸命に育て上げようと真摯な努力を惜しみませんでした。


暗くなった教室から響いてくる先生の補習の声、どの先生からも使命感と熱意が伝わってきました。
保護者にもこの熱意が伝わり地域から尊敬の眼で見られたということです。。
他の職業とは全然異質な雰囲気をもっていました。


先生曰く「当時の先生は頑健でたくましかった。声が大きい、胸を張って歩かれた、表情が豊であった、子供のことを思う叱責はきびしかつた」ということでした。 以上は私を指導してくだった先生のお話。


さて、このお話をうかがって頭にうかんでくることがあります。
今の先生の表情。
ぼそぼそとぼやくような陰気な音声。
背中を丸めて歩く姿。
挨拶も頭を少しさげるだけで声を出さない。
自分のだらしなさを棚に上げて子供たちに注意する。
子供に勉強しろと言いながら自分は勉強不足。
ごめんなさい、これは一部の先生ですよ。
そうでない先生も多くおられます。


学力優秀な人材も必要ですが、むしろ頑健で逞しい先生。
教育に対して使命感、情熱をもっている先生。
かつての人気ドラマ「金八先生」。
授業場面はほとんどなかったですが、生徒に対する情熱は逞しいものがありました。
それだけがいいというのではなく、先生の一面として重要であると感じていました。


今の時代、AI化が進み、効率的に教えようとする試みが提案されています。
あたかも新しいものは、優れているというニュアンスを持たせています。
不易流行
どんなに時代が進んでも、決して変わらない教員の道があります。
私は、ありきたりの言葉ですが、それを「子供を想う情熱」と言いたいのです。

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