教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想961回  ワークシートよりもノートで考える子

ワークシートを出して
「先生、去年、こんなプリントを使ったのですが、今年も使いませんか」と勧められる。
「参考にします」と言って、受け取る。
子供がどのように学んでくるか、動くかがわからない前にすでにシートが準備されている。
子供たちの学び方と思考の枠組みが決められている。


ワークシートは、授業を進めていくなかで、ひとつの問題を深く探っていきたいときに使う。
あるいは、一つの問題をさらに広げていきたいときにも使うことがある。


苦手な教科は、ワークシートを使って指導する先生も多い。
ワークシートからは、決まった問いとその答えしか生まれない。
知識の整理をするときには便利である。
しかし、子供たちの思考や感性を広げていくには制約が多い。


私は、ワークシートをほとんど使ったことがない。
子供にノートを使って勉強させてきた。
ノートで考え、ノートでまとめ、さらには、ノートで広げていく。
年間一人の子供が使ったノートは数冊以上になることもあった。
ちなみに、国語の「ごんぎつね」はノート一冊使えるようになった。
多い子は4冊使った子がいた。


ノートにはワークシートのように最初から枠組がない。
書いていくなかで自然にその子供の思考の枠組みができる。
絵、表、図、グラフを入れて、自分なりの学習を試みる。
たとえば、国語の説明文でも物語文でも、最初の2,3時間を子供一人に任せてみたらどうか。
「2時間の時間をあげます。みなさんは、ノートを使って一人で勉強を始めなさい。」
子供はどんなことノートに書くだろうか。
言葉の意味や漢字の勉強をする子。
読んで感想を書く子。
読んで疑問を書く子。
読んでノートに絵を書く子。


一人ひとりの子供の学ぶ力によって異なる。
勉強の出発が異なるところから始まる。
最近では、ノートを使わない授業も増えつつある。
手を使って目に入れて文を刻むことの意義は大きい。


指導者の都合だけで使われるノートではなく、子供の学びを中心にしたノートづくりが必要だと考える。


ワークシートがだめだとは言わない。
必要に応じて活用することはある。
しかし、それは、やがて子供の学びをノートに移行するためのものである。

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