教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 956回 よい学級を引き継ぐことの難しさ

よい学級を受け持つことになりました。
前の先生がしっかりと子どもたちをしつけているので手間がいらないです。楽勝ですね。」という先生。
気の毒なことに、連休明けぐらいから、学級の子どもたちへの愚痴ばかりが始まりました。


子供たちに指導したことが大人になっても目に見えて残るものはほとんどありません。
言葉で教えたものは、言葉から忘れます。
師弟が弟子に教えるとき、言葉ではなく以心伝心によることが多いようです。
目に見えない何かが伝わっていきます。
先生が意図して伝えたいと思ったことは、子供からは消え去っています。
先生の後ろ姿だけが子供たちの心に伝わっていることもあります。


前の担任の指導が生きているのは、長くて1か月ぐらいです
2年生は、一週間で崩れていきます。
一年生の担任の先生が嘆きます。
「あれだけしっかりとしつけておいたのに、どういうことなの?」と不快感を露わにします。
子どもたちは刹那的です。
その都度、担任の先生に合わせていることが多いです。


 一人の担任で、子どもたちに身についたものが一生変わらなかったとしたら恐ろしいですね。
もちろん、身についたものも多くあるのですが・・・。
いろいろな先生に触れることで子どもたちは、多様性を学びとっていきます。


 一番大変なことは、新しく担任を引き受けるとき、荒れた学級を引き継ぐことではないです。
その逆です。
しっかりとしつけられて、高い学びの力を身につけた学級です。
さらに、前の担任の先生をとても慕っていた子どもたちが多い学級なのです。
子供たちにより高い学びを与えることが大切です。


子供たちは前の先生から、学級の楽しさ、学びの高まりや学級活動のおもしろさを味わってきています。
その子どもたちを引き受けるときのほうが大変です。


引き継ぐ担任は、それ以上の喜びと楽しみ、やりがいを子どもたちに提供しなければならないからです。
そうしないと、子どもたちの意欲が急降下します。
子どもたちは、顔にはだしませんが、意欲は低下していきます。
最悪は、子どもたちの荒れにつながっていきます。


このような学級を持つときに留意すべきことがあります。
前の担任の先生をされたことを絶対否定しないこと。
前の担任の先生、学習の仕方、生活の仕方を「新しく学級が変わったので違うことをします」ということは、子どもたちが慕っていた担任を否定することになります。


子どもたちが培ってきた、積み上げてきた行動様式を大切にしなければなりません。
したがって、一学期は、子どもたちの主張どおりの学級生活を受け入れていきます。
そして、今までよりも優れているとわかると、今までのものを捨てていきます。これが最初の三か月ですね。


前の先生のしつけに寄りかからないこと。
 何もしなけばそれらのしつけは壊れていきます。
 静かな学級は賑やかになります。
 落ち着いて行動する子どもたちは乱暴になります。
 真面目に勉強してたいた子どもは、怠け始めます。


 担任は連休明けに愚痴をこぼします。
 「前の担任の先生がわるいのだね」
 一か月もたったら今の担任が悪いのです。
 目の前の子どもたちの全責任は担任にあります。
担任の先生は、この二か月、何をなさっていたのでしょうか。


もちろん、荒れた学級を立て直すことは大変です。
私は、そのような学級を9回ほど引き受けてきました。
しかし、それ以上に難しいのは、前の先生から学ぶ楽しさを伝えられた子供たちです。
担任が変わっても子供たちの期待は大きいものです。
失望させない授業、学習指導が求められます。

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