教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 955回 7月になっても学級に変化なし

前回の続きで、6月20日から7月10日になっても学級に変化がない場合の問題です。


子供たち一人ひとりの学習意欲が正常に育てられていないです。
個々の能力に関係のない一定水準の授業が行われているからです。
本来は、授業は子供たちの学習に対する意欲化をはかるものです。
「がんばりたい」「やってみたい」と思う気持ちを持たせることです。


そのためには、子供たちの能力を見据えた学習をします。
低・中・高の学習能力に対応した学習指導を必要とします。
どの子も学びたい、わかるようになりたいという思いを吸収します。
そして、それぞれの向上心を刺激します。
子供たちがそれぞれの教科、内容において、どのように学びたいかを大切にします。


子供たちの学習意欲を育てられなかった原因を二つあげます。
一つ目は、先生が理想とする学習スタイルを子供に押し付けている。
先生は、自分の授業スタイルを持っています。
年数を重ねるほどに自分のやり方が固定化されていきます。
「子供に応じて」と頭では理解していても、我流スタイルを動かすことができません。
授業スタイルというのは、子供の学びによっていろいろな形式が生まれます。
自由自在に、子供に応じて、先生の指導法が変化させるところに授業の醍醐味があります。


二つ目は、子供が理解し身につけていく過程に無理がある
子供の学びと教材の内容をつなげていくとき、理解過程において丁寧さが必要です。
理解していく階段を小さくします。
理解できていないときは前に戻ります。
時には、ステップを大きくして(難しくして)子供の学ぶ意欲を刺激します。


少し厳しいことを言うと、指導書どおりのワンパターンの授業をしていると子供の意欲は萎えてきます。
指導の順序、発問、助言を計画どりに実施されます。
指導案どおり進んだ授業をよしとされる傾向があります。


建築の設計図は計画通りに進まないていけません。
指導案は違います。
計画したことが修正されていかなければなりません。


ここで考えてみてください。
4月の授業と学年末の授業スタイルが同じなのはおかしいですね。

学期ごとに、子供たちの意欲の変化に応じて授業が変わるのが当たり前ではないでしょうか。
4月に、導入が丁寧であっても、子供の学び方が育ってくれば導入の時間が少なくなります。
3学期は導入なしの授業が多くなります。

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