教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想957回 複数の先生による育て方の食い違い

どの学校も高学年は専科制のシステムを取り入れているようです。
担任が一つの学級のすべての学習を指導することがなくなりつつあります。
授業の準備負担を少しでも減らすという学校もあります。
お互いの専門性を生かすというのも耳にします。
あるいは、複数の教員で子供たちに関わるのがいいのではという考えもあります。
最近では、チームによる学級サポートの試みもあるようです。


複数の教員で関わると子供たちをいっそう丁寧に指導できると言われています。
本当でしょうか。
複数で担当することで、指導意識も半分にならないでしょうか。
1+1=2にならずに1+(-1)=0になることもあれはずです。


かつて、同室指導と称して、算数の学習を二人で指導していた時代がありました。
お互いの指導者によって多くの子供に対応できるという幻想が生まれました。
やはり幻想でした。


お互いが事前に教材や指導手順を打ち合わていても、お互いの人間性が大きく違うと子供たちは迷い始めました。
「前に説明したでしょ」と強い口調で指導する先生。
「ごめんね、もっとわかるように説明しなおすね」と優しい先生。
子供はどちらの先生に質問することが多くなるでしょうか。
もちろん、二人の先生の息が合ってうまくいくこともあります。


世間では、いじめの問題、学習意欲の低下などが言われるなかで、一人の教員ではなく、少しでも多くの先生によって指導すれば細やかになるのではないかと言われています。
おそらく、逆になるでしょう。


学級崩壊になったところに、管理職をはじめ、いろいろな先生が指導に入ることがあります。
成功例は少なく、かえって荒れていきました。
子供たちは言います。「私たちの先生は、一人では頼りないからいろいろな先生が教室に入ってくるんだなあ」
担任の先生の評価は下落の一途をたどります。


そういう点においては、学年当初から専科の先生が入って、一緒になって子供に関わるほうがいいでしょう。
しかし、これにも限界があります。
私は、先生方には申し訳ないですが、教員として授業者としての力量が少しばかり落ちてきています。(現場の先生と接するなかで)


専科の授業を実施している先生の声をうかがうと、教育の教える・育てるなかで、教えることに力点がおかれています。
授業は、教えることを通して子供の学ぶ意欲や人間性を育てることが目標です。
育てることが核になります。
複数の先生が、教える内容は共通理解できても、育て方については一致できないことが多いですね。

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