教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 98回 子供との約束ごとが多いほど子どもは離れる

「学級集団は、彼をどう受け止めているのか」
  この問題についてお話します。


前回の質問から
・授業中、自分の意見を発表するとき以外はほとんどふざけたことを言うことが多い児童が2名いる。生活のルールも守れなく、みんなに迷惑をかけている。教師だけでなく、児童たちからも2名の子に自分たちの考えや願いを言い、それに対して2名の児童たちも迷惑をかけていることを謝り、これからがんばっていく約束をした。しかし、1学期間、ほとんどかわってなく、よくなっていると言えない。2名の児童を認めていく場を多く取りたいと思っているが、やはり注意が多くなっていると思う。どのようにがんばっていったらいいのか、教えてほしい。



①集団との約束は、単なる外圧に屈しただけです。
問題になる子どもに対して、周りの子どもたちにそれぞれの思いを言わせることはあります。しかし、言われた子どもが本当に納得したかどうかです。
子どもたちとの約束をさせるのは、ある意味では拷問に等しいことがあります。
集団で圧力をかけられたら、「ノー」とは言えなくなります。
約束する場合、その問題になる子どもと周りの子どもたちが十分な話し合いをしたかどうかです。周りの子は、その子の行動が常時迷惑をしているという反感から、その子を批判的に対応します。
反対に、周りの子どもたちが、その問題になる子を支えていくという立場での約束なら大丈夫ですが・・・。そうでない場合は、さらに溝を深めることになります。


先生は、多数の子どもの意見を味方にしてはいけないと考えます。先生自身がその子と一対一で向き合っていく姿勢を示さないと、彼の心は開かれません。


②彼を支えていこうとする温もりがあるか
温もりのある批判、アドバイスをするという学級の土壌ができていることが大切です。子供たちがその子に言うことも言うが、そのあとのアフターケアができるようにします。


③彼らに対する先生の接し方が、子どもたちの見方を育てる。
 差別は、先生の子供に対する接し方から生まれることがあります。自分では、意図しなくても、子どもたちから見ると差別的な対応として受け取られます。
その子どもは、自分に対する周囲の偏見を感じて過ごしているはずです。
その感覚が彼を問題行動に走らせています。


④学級の風がさわやかになると、どの子もその風の恩恵を受け取ることになる。


ここが大切です。先生は、特定の問題児にかかりっきりになり、他の子どもたちへの配慮をおろそかにすることがあります。
 一学期において、問題児がいるとしたら、彼らのことは、一番最後に指導します。まずは、彼らを取り巻く学級の風、雰囲気を柔らかなものに育てていくのが最初です。一人ひとりの小さな願いを満足させていくことで、学級の空気は柔和なものになってきます。
一緒に風呂につかっていると、特別に体が冷えている子どもも自然と温もってきます。
もう少しはっきりと言いますと、問題児(問題児はいないのですが)は1年間かけて、ゆっくりじっくりと関わっていく、指導していくことが大切です。
どうしても結果を焦り勝ちになるものですが、忍耐、待つことです。

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